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刑事裁判の迅速化と弁護人の苦労

裁判迅速化で大変なのは民事・行政事件だけではありません。刑事事件もそうです。
僕は、率直にいって、刑事事件に迅速性の要請は馴染みにくいと考えています。
関係者の立場からすれば、被害者がいれば早く決着をつけて区切りをつけたいと思うでしょうし、警察も検察も裁判所も長いこと事件を滞留させたくはないでしょう。
これから裁判員制度が始まれば、いろいろな仕事をもつ人たちが裁判に協力することになるのですから、ますます迅速に、ポイントを絞った審理が望まれることでしょう。
現在、そのための公判前整理手続が行われることがあります。これは、裁判員制度のもとで短期間に充実した審理を行うため、公判が始まる前に、裁判所・検察官・弁護人の三者で主張や証拠を整理し、主要な争点をあぶり出す手続です。この手続きを経ると、いつ、どんな証人を尋問して、何を明らかにして判断するか、いつごろ審理が終結するかが明確になります。いわば裁判の納期が設定されるのです。
こうすると、効率的に審理が行われるように思われます。でも、でもです。弁護人としていくつかのえん罪事件に関わってきた経験からすると、審理を進めながら新しい事実が分かってくることが往々にしてあります。特に検察官川から出てきた証人は、弁護人は事前に面接などできませんから(法的にできないとまではいいませんが、実際上ほぼ確実に面会を拒絶されるか、トラブルが予想されることが非常に多いので、しないというよりできないといった方が現場の感覚に近いです。)、公判のそのときになるまで、その証人から何が引き出させるのか、確実なところは分かりません。もちろん、相当程度の予測は立ちますが、原則として公判で話したことが証拠になりますから、結局は同じことです。公判では、被告人や弁護人が疑問に思うことを反対尋問の機会にぶつけます。すると、今まで存在が分からなかった証拠があることが分かったり、今まで問題にもなっていなかった事実関係が実は重要なターニングポイントになっていたりすることが間々あります。
このように、訴訟というのは発展的な構造をもつものなのです。

近代刑事裁判では、犯罪事実は全て検察官が立証しなければならないことになっています。被告人・弁護人は、本来、防禦するだけで足りるはずなのです。それを、公判前整理といって、事前に弁護人や被告人の言い分を吐き出させられたのではかないません。予め被告人・弁護人の言い分が分かっていたら、それを考慮に入れて増強した証拠が出されることがあります。
それはそれで真実が分かるからいいではないか、と思う人がいるでしょう。でも、数々のえん罪事件の実情からすると、捜査段階で被疑者にさんざんアリバイ主張を吐き出させ、警察官が立ち寄り先に行って、被疑者と会った人と話をして、被疑者と会った時間をずらしてしまう、などということもあるのです。僕の関わっている布川事件でも、そのようなことが行われたのではないかと疑われるところがあります。
防禦する側のカードを先に出させると、不当な肩すかしを食らうことにもなるのです。
それでも、身柄拘束される被告人のことを考えたら、迅速な方がいいのではないかという考えもあり得ます。たしかに、身柄を拘束されている被告人は、いつまで裁判が続くんですか!ということは一大事です。でも、これは、裁判が長くなることの問題ではなく、現在の日本の刑事司法においては安易に身柄を拘束することがまかり通っていることの問題だと思います。
アメリカでは陪審裁判を効率的に行うための準備手続(トライアル)を1年くらいかけてじっくり行うことがよくあるそうです。でも、アメリカは、日本と異なり、起訴される前である捜査段階から保釈が認められており、被告人は誓約付きながらも社会生活を送り、アクリル板を通さずに弁護人と打合せができ、裁判による負担は日本よりは抑制されます。
刑事裁判は、被害者の立場では不慮にとんでもない被害を受け、被告人の立場では国家権力によって刑罰という重い制裁を加えられるかどうかの瀬戸際に立たされ判決前も社会的な不利益を受ける、という点で、どちらの立場に立つにせよ、極限状態の人間と向き合うことになります。少なくとも、徒手空拳の被告人・弁護人が、人・物・金・情報が圧倒的に優位な国家権力と対峙するのに、一丁上がりにやられたのではたまらない、というのが、弁護人としての偽らざる心境です。

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