裁判員制度を考える位相・試論
今、僕たち弁護士の中では、裁判員制度の評価をめぐって喧喧諤諤の議論が続いています。
弁護士会は、長い間、世間の風に当たっていない官僚裁判官による裁判では市民の常識が反映されないとして、市民参加、とりわけ陪審裁判を求めていました。裁判員裁判を推進すべきだと考える層は、裁判員裁判こそ市民参加の突破口であるとして、市民の常識を裁判に反映させるものとして発展させようと主張しています。
他方、裁判員制度に反対する層は、調書裁判とか人質司法とか言われる現在の刑事裁判の実態は温存され、公判前整理によって被告人や弁護人の防御の機会は制限され、評議には官僚裁判官が同席するなど、えん罪が増えると思われる上に、裁判員には重い負担をさせる(刑罰つきの守秘義務や量刑判断までさせる)ものだとしています。
気をつけなければならないのは、弁護士の中での裁判員制度推進派も、裁判員制度にも問題点があることは概ね了解していることです。そのことは前提として、なお実施して問題点は改善していけばいいと考えるか、そうではないと考えるかです。
僕自身は、延期論です。今年の8月に日弁連会長が延期すべきでないする声明を出したことについて、法律家団体の機関紙である自由法曹団通信に批判文を載せたことがあります。→自由法曹団通信1284号。
僕自身、現在の刑事裁判には絶望しながらも歯を食いしばって刑事弁護に取り組む者の一人であり、市民参加の一形態としての裁判員制度に真っ向から反対する心境にはなかなかなりきれません。ただ、これはあくまでも心情的なもので、理論的には裁判員制度をいいものだと評価することは極めて困難だと考えています。少なくとも、09年5月に実施されようとする裁判員制度は。
このように、僕は推進派の言おうとしていることもよく分かります。刑事弁護に真剣に取り組む人ほど、そう考えることは理解できるのです。でも、そこに陥穽があります。「見て聞いて分かる裁判」の名の下に、調書などは簡略化され、長期間の身体拘束で行われていることがますますブラック・ボックス化してしまいます。取調の可視化(録画・録音)が施行されていますが、今、法務省がやっているのは一部だけであって、意味がありません。
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