刑事裁判の2つの潮流と裁判員裁判
僕は常々刑事裁判には2つの潮流があると考えています。
一つめは、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に忠実に、憲法31条で適正手続が保障された趣旨を生かそうと、警察・検察官の捜査・起訴・公判活動を厳格に吟味しようとするものです。かつて死刑再審四事件と言われた免田、財田川、松山、島田各事件での再審開始決定はまさにそうですが、最近出された痴漢えん罪事件についての最高裁判決の多数意見も基本的にこの流れに近いと思います。
もう一つは、そうではなく、検察官の主張に寄り添うように審理を行い、弱点があればそれを補うような潮流です。裁判所は公正さを装いたがりますので明言を避けますが、その背景には、自分たちこそがこの国の治安を守るのだという意識があるのだと思われます。そうだとすれば、裁判所は警察と同化していることになります。
例えば、自白、とりわけ死刑・無期懲役もあるような重大事件での自白、は犯罪を犯していない人が自白するわけがないとか、被害者とされた人が警察の取調や裁判所での証言などといった負担を背負ってでも敢えて話しているのに真実とは異なるなどというわけがないとか、そういう経験則らしきものがまことしやかに語られることがありますが、そのような発想は後者の潮流に馴染むものです。
高名な刑事訴訟法学者である故平野龍一博士は、かつて、日本の刑事裁判は「絶望的」だと評しましたが、後者の潮流が余りにも強いことを批判したものです。
私は、刑事事件、特に事実関係を争い被告人が無実を訴えている事件では、できるだけ前者の潮流に引き寄せられるよう、その手がかりを探すことに努めます。
というのも、ある裁判官が前者、別の裁判官が後者、というわけではないからです。なかなか無罪を出さないといわれる裁判官であっても、事件によってはびっくりするくらい格調高く捜査機関を批判する無罪判決を出すことがあれば、慎重な審理を尽くすといわれる裁判官であっても、いたってラフな事実認定で有罪判決を出すこともあります。要は、各の事案の特質と、疑問をもってもらうきっかけをつかめるかどうかなのです。疑問をもってもらうことが困難を極めることはよくいわれることです。
ところで、09年5月21日から裁判員裁判の実施が予定されています。
裁判員裁判に対して積極的な評価をする方たちの中には、市民である裁判員が裁判に参加することから、市民の常識が審理や判断に反映され、裁判官は慎重な事実認定をするようになるのではないかという意見があり、最近、無罪判決の率が増加していることは、裁判員裁判を意識して、今までの刑事裁判の在り方は維持できないとする裁判官たちが増えてきていることの表れではないかと主張する向きがあります。
僕は、これは一面の真理かもしれないと思っています。でも、強調するべきではないと考えています。
第一に、今慎重に審理できるということは、つまり、裁判員なしでも慎重にやれるということの証しです。まぁ、この辺は裁判員に懐疑的な考えをしていることの裏返しですので、それ自体が余り意味のある議論ではないかもしれません。
第二に、そのような、裁判官に「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則に従うよう説得できた、その要因をもっと吟味する必要があることです。とりわけ裁判員の対象となっていない強制わいせつや迷惑防止条例違反で事実を争っている痴漢えん罪事件です。裁判員対象事件では公判前整理手続で弁護側の主張や証拠は第1回公判が開かれる前に検察官に示さなければならず、裁判所に取調を求めておかなかった証拠は、公判が開かれてからは原則として取調を求められないことになっています。また、連日的開廷・集中審理によって、ごく短期間に審理が行われます。そもそも人は思考を深めるのには時間がかかりますが、そういう特性は無視されているのです。今まで無罪を獲得した事件では、検察官の主張立証の問題点をじっくりと衝き、しっかりと弁護側の証拠を準備し、裁判所を丁寧に説得してきたのです。そうして裁判所から慎重な判断をする意識を引き出してきました。
この第二の重要な武器が失われたのが裁判員裁判です。裁判員裁判は、判断する国民の側から検討されることが多く、裁かれる被告人や被告人のための手続の担い手である弁護人の立場、しかもどのように準備されるのかは検討されることが非常に少ないのですが、この視点は多くの方々に共有していただきたいと考えています。
弁護士の中でも、市民が参加しさえすれば常識が反映されると短絡的に考えている人が非常に多く、僕は問題だと思っています。これは、従来の刑事裁判に絶望する余り、冷静さを失った意見ではないかと思いますが、非常に残念なことです。
| 固定リンク
「えん罪事件」カテゴリの記事
- ビラ配布は建造物侵入?!(2007.12.11)
- 捜査メモの開示(2007.12.27)
- 2つのえん罪事件の反省(2007.08.10)
- 国連拷問等禁止委員会(2007.05.24)
- 取調可視化考(2007.05.27)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 司法修習生も就職難の時代(2007.08.29)
- 安倍晋三雑考(2007.09.13)
- 裁判迅速化と弁護士の嘆き(2007.09.24)
- 刑事裁判の迅速化と弁護人の苦労(2007.09.24)
- 消費者保護に潜む監視社会への途(2007.10.28)


最近のコメント