日記・コラム・つぶやき

刑事裁判の2つの潮流と裁判員裁判

僕は常々刑事裁判には2つの潮流があると考えています。
一つめは、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に忠実に、憲法31条で適正手続が保障された趣旨を生かそうと、警察・検察官の捜査・起訴・公判活動を厳格に吟味しようとするものです。かつて死刑再審四事件と言われた免田、財田川、松山、島田各事件での再審開始決定はまさにそうですが、最近出された痴漢えん罪事件についての最高裁判決の多数意見も基本的にこの流れに近いと思います。
もう一つは、そうではなく、検察官の主張に寄り添うように審理を行い、弱点があればそれを補うような潮流です。裁判所は公正さを装いたがりますので明言を避けますが、その背景には、自分たちこそがこの国の治安を守るのだという意識があるのだと思われます。そうだとすれば、裁判所は警察と同化していることになります。
例えば、自白、とりわけ死刑・無期懲役もあるような重大事件での自白、は犯罪を犯していない人が自白するわけがないとか、被害者とされた人が警察の取調や裁判所での証言などといった負担を背負ってでも敢えて話しているのに真実とは異なるなどというわけがないとか、そういう経験則らしきものがまことしやかに語られることがありますが、そのような発想は後者の潮流に馴染むものです。
高名な刑事訴訟法学者である故平野龍一博士は、かつて、日本の刑事裁判は「絶望的」だと評しましたが、後者の潮流が余りにも強いことを批判したものです。
私は、刑事事件、特に事実関係を争い被告人が無実を訴えている事件では、できるだけ前者の潮流に引き寄せられるよう、その手がかりを探すことに努めます。
というのも、ある裁判官が前者、別の裁判官が後者、というわけではないからです。なかなか無罪を出さないといわれる裁判官であっても、事件によってはびっくりするくらい格調高く捜査機関を批判する無罪判決を出すことがあれば、慎重な審理を尽くすといわれる裁判官であっても、いたってラフな事実認定で有罪判決を出すこともあります。要は、各の事案の特質と、疑問をもってもらうきっかけをつかめるかどうかなのです。疑問をもってもらうことが困難を極めることはよくいわれることです。

ところで、09年5月21日から裁判員裁判の実施が予定されています。

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2009年…

明けましておめでとうございます。

昨年も色んなことがありました。僕が関与したものだけでも、
・千葉県内某所の冷凍餃子問題
・建設アスベスト訴訟提訴
・再審布川事件、東京高裁でも再審開始を維持(検察官特別抗告)
・原爆症認定訴訟、千葉地裁で12度目の原告側勝訴判決(国控訴)
といったものがありました。下3件は今年も取り組みが続きます。
その他、今年5月21日実施予定の裁判員裁判や、派遣労働に特徴的に見られる不安定雇用の問題も大きく議論されました。年末には「派遣切り」などと言われる事態まで起きています。
今年は、僕たち弁護士の間では「2009年問題」といわれる課題が2つあります。

一つめは、刑事裁判の2009年問題です。弁護士が「2009年問題」というときは、大抵こちらです。
従来、被疑者段階の国選弁護人制度はありませんでしたが、裁判員裁判の実施を前に、2006年に導入されました。それが拡大されるのです。
具体的には、2006年に導入された際は、死刑又は無期若しくは短期(刑期の下限)1年以上の懲役・禁固にあたる事件(殺人、傷害致死、強姦、強盗などの重大事件)に限られていましたが、今年は、これが長期(刑期の上限)3年を超える懲役若しくは禁固にあたる事件まで拡大されるのです。有期懲役刑は法律上断りのない限り上限が20年とされていますので、窃盗、傷害、自動車運転過失致死、詐欺、恐喝等、かなり多くの事件をカバーすることになります。

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裁判員制度を考える位相・試論

今、僕たち弁護士の中では、裁判員制度の評価をめぐって喧喧諤諤の議論が続いています。
弁護士会は、長い間、世間の風に当たっていない官僚裁判官による裁判では市民の常識が反映されないとして、市民参加、とりわけ陪審裁判を求めていました。裁判員裁判を推進すべきだと考える層は、裁判員裁判こそ市民参加の突破口であるとして、市民の常識を裁判に反映させるものとして発展させようと主張しています。
他方、裁判員制度に反対する層は、調書裁判とか人質司法とか言われる現在の刑事裁判の実態は温存され、公判前整理によって被告人や弁護人の防御の機会は制限され、評議には官僚裁判官が同席するなど、えん罪が増えると思われる上に、裁判員には重い負担をさせる(刑罰つきの守秘義務や量刑判断までさせる)ものだとしています。
気をつけなければならないのは、弁護士の中での裁判員制度推進派も、裁判員制度にも問題点があることは概ね了解していることです。そのことは前提として、なお実施して問題点は改善していけばいいと考えるか、そうではないと考えるかです。
僕自身は、延期論です。今年の8月に日弁連会長が延期すべきでないする声明を出したことについて、法律家団体の機関紙である自由法曹団通信に批判文を載せたことがあります。→自由法曹団通信1284号
僕自身、現在の刑事裁判には絶望しながらも歯を食いしばって刑事弁護に取り組む者の一人であり、市民参加の一形態としての裁判員制度に真っ向から反対する心境にはなかなかなりきれません。ただ、これはあくまでも心情的なもので、理論的には裁判員制度をいいものだと評価することは極めて困難だと考えています。少なくとも、09年5月に実施されようとする裁判員制度は。
このように、僕は推進派の言おうとしていることもよく分かります。刑事弁護に真剣に取り組む人ほど、そう考えることは理解できるのです。でも、そこに陥穽があります。「見て聞いて分かる裁判」の名の下に、調書などは簡略化され、長期間の身体拘束で行われていることがますますブラック・ボックス化してしまいます。取調の可視化(録画・録音)が施行されていますが、今、法務省がやっているのは一部だけであって、意味がありません。

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布川事件、高裁でも勝利決定

昨日、東京高裁第4刑事部(門野博裁判長)は、布川事件に関して、検察官の即時抗告を棄却し、2005年9月21日の水戸地裁土浦支部(彦坂孝孔裁判長)の再審開始決定が維持されました。検察官がこれに対して特別抗告(高裁決定に対する最高裁への不服申立て)をせずに再審開始決定が確定すれば、再審公判(やり直し裁判)が水戸地裁土浦支部で始まります。
東京高裁の決定は、目撃証言も自白も信用性が認められず、確定判決の有罪認定には合理的な疑いが残るとしています。その中で、代用監獄問題や取調の一部の録音には問題があることに触れています。
さしたる理由もなく変遷を繰り返す自白、物証など客観的な証拠とは食い違う自白は信用することができないと、至って常識的な判断です。
もちろん、再審請求人である桜井昌司さんと杉山卓男さんは喜んでいます。弁護団も支援団体もよかったと思っています。無辜の救済という再審の目的を再確認させてくれる決定を出した裁判所には敬意を表したいと思います。でも、手放しでは喜べません。常識的な判断をしてくれとは、40年前から請求人本人も、この事件に関わった何十人もの弁護士も、何百人もの支援者も、みんなが言い続けてきたことです。時間がかかりすぎているのです。
とはいえ、再審開始決定が高裁で維持されたことは長らくなかったこと、決定がえん罪の原因(代用監獄、取調の一部の録音、物証をよく検討しないこと等)を率直に指摘したことからすると、えん罪に苦しむ多くの人にとって勇気と希望をもたらすものです。
当面、僕たちの課題は検察官の即時抗告を許さず、早期に再審公判に移行させることです。一日も早く再審無罪判決を獲得するため、今後とも奮闘する決意です。

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千葉原爆訴訟、明日結審

03年5月に提訴し、5年近く経ちました。明日、ようやく結審予定です。明日は時間を90分とって最終意見陳述を行います。原告団と弁護団とで、6~7分ずつ。
この間、いろんなことがありました。何人もの被爆者と会い、何人もの科学者と面会し、何人もの支援者・活動家と語り合い、国の証人とも対決し、厚生労働省には何度も裏切られ、でも、ここへきてようやくまともなテーブルがセットされてきた感じです。
先週末からの報道では、今日行われた審査会でばんばん認定を始めるということ。厚生労働省は、その発端となった訴訟案件をどうするつもりなのでしょうか。訴訟の外でバンバン認定するからいいではないかというのでしょうか。このようにして、戦う者の足並みを乱そうとするのは、権力の常套です。私たちは、これに臆せず団結を守り抜いて戦わなければなりません。
マスコミでは「半数認定」という文字が躍っていますが、被爆者に多い肝機能障害や甲状腺機能低下症が積極認定の範疇に入っていないなど、新しい認定基準でも問題があります。司法の解決水準に行政が追いついていません。このままでは、まだまだ司法での戦いを続けなければなりませんし、司法の役割は終わっていないのです。
もう、厚生労働省には後がありません。でも、被爆者にも残された時間はわずかです。原爆症認定問題最後のヤマ場。決戦のときです。

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終わりの始まり

今週末は、なかなか忙しいです。日曜の夜に記事を書いていながら「忙しいです」と現在形であり完了形ではないのは、継続しているからです。
土曜日は、都内で開かれた原爆書認定集団訴訟の全国弁護団会議に出席し、夕方から証人尋問の打合せ。来週、東京高裁で齋藤紀医師を証人として尋問するのです。齋藤先生は、広島市内の福島生協病院の院長を長く務められ、多くの被爆者の治療に当たってこられた方。そして、広島大原医研で基礎研究をしていた経歴もあり、理論的にも極めている人物です。東京高裁では、国は相変わらず「被爆者に多いといわれる脱毛はストレスのせいではないか」などという議論を展開しているほか、肝機能障害が被爆者に多いといわれるけれどもそれは放射線とは関係がないとか主張しているので、これを論破するために、齋藤先生に証言していただくというわけです。
どの裁判でもそうですが、高裁は地裁で調べたことの上塗りはしません。限られた時間の中で効率よく証言を引き出さなければならないので、ポイントを絞って、質問する順番にも気を配って準備を重ねます。
現在、厚生労働省は原爆症認定基準の改定を進めていますが、肝機能障害こそは裁判でいくつも認定を勝ち取っていながら、厚生労働省は積極的に認定する範疇に入れようとしません。そこで、今一度被爆者の病像を明らかにして、国の主張がいかに裏付けを欠いているのかを明らかにしていかなければならないのです。
しかも、おそらくは現段階の国の抵抗がこの問題に関しては最後のものになるでしょう。ここをなんとしても突破して、真に被爆者のためになる認定制度を実現することに繋げていくというのが、今回の課題です。

そして、日曜・月曜と、茨城県内で泊まり込みで布川事件の弁護団合宿。この春に提出する最終意見書の作成会議です。弁護団員に原稿執筆を割り振り、持ち寄り、みんなで討議して、原稿を改訂して、また意見交換、という作業を繰り返します。

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再開

先月から猛烈に忙しくなり、ろくに更新もできていませんでしたが、再開です。
この1か月間も色々ありました。
私が住んでいる千葉県では、冷凍餃子問題が起こり、イージス艦「あたご」と清徳丸の衝突「事故」、と大事件が続きました。
原爆症認定問題では、裁判で負け続けている厚生労働省が線引きにこだわり全面解決を困難にしています。
えん罪事件絡みでは、鳩山法相の「えん罪とは呼ぶべきではない」発言、足利事件の再審開始請求棄却、ロス疑惑再燃、引野口事件無罪判決、いろいろ考えさせられました。
昨年末から取り組み始めた建設アスベスト訴訟も、対外的に提訴日を発表し、
さらに貧困問題では、千葉県弁護士会で生活保護委員会が立ち上がり、まずはシンポジウムを開こうという動きが始まりました。この格差社会の中、多重債務と労働問題と福祉を結節させ、新自由主義的時代思潮とどう切り結ぶのか、社会生活の医師である弁護士の責任は重いと思います。
今日は、学生時代の恩師(名古屋大学に転勤し退官を迎える)の最終講義と退官記念パーティに出席するため、名古屋に行きます。その新幹線の中で、この間考えていたことをつらつらと連ねてみたいと思います。

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中国「残留孤児」新年金制度相談会

今日は、午後、千葉市美浜区内で、中国「残留孤児」の年金申請の相談会に参加しました。
これは、昨年末に改正された、「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国者の自立の支援に関する法律の一部を改正する法律」に基づくものです。
このような制度改正が行われたのは、もちろん、この5年間、永住帰国した中国「残留孤児」2400人中約2000人までが原告となって集団訴訟が行われた結果です。多くの地裁の判決では敗訴したものの、安倍前内閣総理大臣の指示により救済制度がつくられたというわけです。
従来の制度、中国「残留孤児」は、永い間国民年金には加入していなかったため、1か月66,000円の老齢基礎年金も満額受給することができません。それで足りなければ生活保護を受けろということになりますが、一部であっても年金を受給していれば、それは収入認定されてしまいます。さらに、生活保護制度自体の問題として、受給者の生活を監視するようになり、テレビはあるか、車はあるか、というような監視を受けるようになります。
これでは老後の生活を安心して送ることができない、といって、中国「残留孤児」は国会制限に取り組みますが、国会では相手にされませんでした。そこで、「普通の日本人として人間らしく生きる権利」を回復しようと裁判に打って出たのです。
このような経過でできた制度により、原則として、老齢基礎年金を受給することができるようになり、それが収入認定されることもなくなりました。生活保護に代わる変わる自立支援給付金制度も設立され、以前よりも個人の尊厳に配慮した制度となりましたが、こちらの詰めは今後の課題です。
ただ、これがエラく複雑で、中国「残留孤児」の支援を所管するのは厚生労働省援護局ですが、年金を扱うのは社会保険庁ということで、老齢基礎年金のいわば未納分を厚生労働省の事務として国が追納する、そのための申請を「残留孤児」が行う、という制度枠組みになっています。作業としては今までの年金の履切れに関する記録の確認や、身元未判明孤児で日本国籍を取得できた人には帰化や就籍の確認、などなど細かな資料との照合が中心になります。

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生活と戦争

(千葉県弁護士9条の会メーリングリストへの投稿を転載;ブログ用に一部抜粋。)

最近の報道を見て思うのは、暫定税率の問題が消費生活と雇用確保(の衣をかぶった建設利権)という角度でしかみていないということです。
もとはといえば、石油の値段をつり上げるために米軍が中東で侵略戦争を始めたのであって、ガソリンの価格が社会的に問題になるほどにまでなったのはそれからです。
他方、ガソリン税は、従来、道路特定財源と実際上結びついて、建設利権に繋がる面が強かったものの、それが国土整備や雇用確保に繋がる面があったことも確かです。国土開発は環境問題も引き起こしましたが、ガソリン税は環境税的な機能をもつこともあながち否定できません。そして、最近突然ガソリン税の税率が高くなったわけではありません。
それなのに、今、暫定税率の是非だけを消費生活と道路整備の対立軸だけで論じているマスコミの論調にはうんざりしています。こんなことの是非を問うための解散だ何だということは誰もが茶番だと感じていますが、大切なのは、どうして茶番と直感するのか、どんな本質が隠されているのかを、生活者の視点で納得できる形で言語化することだと思います。
戦争のための国民動員は、常に生活者の利益を守るかのような装いを凝らして始まります。(その意味で、今年に入って福田首相が急に「消費者」なんて言い出していることに対して私は警戒しています。)
私たち在野法曹が9条の問題に関係する意義はそこにあって、事実と論理以外の背景は必要としない、ある意味の純化路線でどこまで説得的な発言ができるかが重要だろうと思います。
幸か不幸か、否、不幸にも、今、そういうことを考える身近な題材には事欠きません。
さて、この程度の意見をいうことは簡単なのですが、今回の話が、そうした試みとして成功しているかどうか、極め
て不安ですが。
国民保護計画も実践段階に入り、戦争を推進しようとしている層が日常感覚に入り込もうとしている今、日常の生活感から、より人間らしい生活を目指すときに障害になっているものが何かを考える視点を提供することが、社 会の説得のためには重要だと感じるようになりました。

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原爆症認定問題/安易な幕引きは許さない

昨日、都内で、原爆症認定集団訴訟の全国弁護団と支援者の合同会議が開かれました。
私たち弁護団は、ほぼ月1回のペースで全国会議を開き、情報交換や重要な意思決定をしています。
折しも、数日前、厚生労働省が「新しい審査のイメージ(案)」を出し、マスコミにも発表しました。
そこで、今回は、急遽、被爆者団体や支援団体にも参加を呼び掛け、評価や今後の対応について意見交換をしました。
厚生労働省が発表した「イメージ(案)」には、このようなことが書かれています。
「①被爆から長い年月が経過し被爆者が高齢化していること
 ②放射線の影響が個人毎に異なること
などに鑑み、これまでの原因確率による審査を全面的に改め、迅速かつ積極的に認定を行うこととする。」
「このため、自然界の放射線量(1mSv)を超える放射線を受けたと考えられ、被爆地点が約3.5㎞前後である者及び爆心地付近に約100時間以内に入市した者並びにその後1週間程度の滞在があった範囲にある者が以下の症例を発症した場合については、格段の反対すべき事由がなければ、積極的に認定を行う。」
として、がん・白内障・副甲状腺機能亢進症、放射線白内障、心筋梗塞の積極的認定を挙げています。「幅広く審査会の審査を省略」するともしています。
このような案は、従来の厚生労働省の態度を相当に替えてきたものということができます。官僚の方針に沿う括弧付きの「科学的知見」を提供する、括弧付きの「専門家」集団に政策をオーソライズさせる仕組みは、水俣病問題でも「行政の根幹」であるとして、行政の公正さや中立性を装う、わが国行政の―「根幹」どころか―恥部でした。原爆症認定問題では、厚生労働省は、裁判で負け続け、安倍晋三前総理大臣が「専門家の意見を聞いて認定基準の見直しを」と指示したことを受け、「原爆症認定の在り方に関する検討会」を設置しました。「行政の根幹」を維持するための、常套手段です。そして、この「検討会」は、実際、従来の「原因確率」を中心とする認定基準を若干手直す程度でやめてしまう報告を出しました。
こんなことで被爆者は納得するわけがありません。私たちは、この報告書を徹底的に批判し、一歩も退きませんでした。こんなことのために5年(否、被爆者は被爆してから62年間毎日が戦いでした。)もたたかってきたわけではない、こんなことでは裁判闘争を終わらせるわけにはいかない、1月には全国原告団代表者会議を開き、たいへんな議論をしていました。

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裁判に国民が参加する条件

 今日の朝刊に、裁判員裁判の運用に向けた司法研修所の研究報告の要旨が載っていました。本文を確認してはいませんが、以前に2回、「判例タイムズ」誌に同様のテーマの報告書が出ていましたので、そうした成果を踏まえてのものだと思います。
 概して、複雑な事件をいかに簡略化するか、今まで長くかかってきた裁判を短縮化するか、に重点が置かれています。印象的だったのは、
①審理の対象はできるだけ犯罪事実の有無や量刑に関係することに絞る。
②公判前の整理手続を重視し、検察官による犯罪事実の主張の変更(訴因変更)や弁護人の新たな主張は認めない。
③捜査段階と公判段階での供述の食い違いについてはなぜそうなったのか水掛け論になりがちだが、そのような審理はできるだけしないようにする。そのために、取調過程を録音するほか、公判前の証人尋問手続を活用する。
 僕は、悪い意味でいかにも裁判官らしい、訴訟当事者の立場を理解していない内容だという感想を抱きました。題材になったのは、今までどおりの手続で行われた事件と、最近になって裁判員裁判を見据えて公判前整理手続を経て集中審理が行われた事件です。だいたい、そのようにして訴訟当事者がさんざん努力して事案が解明できた、「完成物」というべきものを題材にして、これから進める手続をどう扱うかを考えることには問題があります。そのときそのときどうであったかが大切です。
 裁判は発展的な構造をもつといわれます。当初は曖昧模糊としていたものが、資料をじっくりと検討し、関係者からきめ細かく尋ね、丁寧に争点を整理していって、はじめて真実が発見されるのです。証拠書類をじっくり見るのを辞めて口頭で話を聞くことにすれば法律専門家でなくてもよく分かるようになるというのは、そうした訴訟当事者による法廷の外での様々な準備活動を知らないからこそいえる、机上の空論です。
 この報告書を書いた裁判官は、いっぺんでも証人尋問の準備をやってみたらいいでしょう。最初から審理に必要な証言をやれるほど深められる証人は僅かです。科学者の専門家でも、一般市民が体験事実を語るときでも、十分な準備期間を与えられ、法廷の改訂日が近付いてきて記憶を丁寧に喚起し、投資世は気づかなかった資料の存在を思い出したり、それを見て改めて記憶喚起したりして、はじめて自らの体験を正確に語れるようになるのです。このプロセスの中で、弁護士も主張の枠組みを点検し、より分かりやすい法廷活動ができるようになるのです。おそらく検察官も同様の体験をしていると思います。
 また、法廷で扱う事実関係を絞るというのも、傲慢です。この報告書を書いた裁判官たちは、自分たちは証拠なんか見なくてもどこまでが必要な事実か分かるほど社会のことを知り尽くしているとでもいうのでしょうか。法廷に現れる関係者は、被告人も証人も自分とは違った人生を歩んできた人たちです。その事件だって、あったかなかったか、立ち会ってみていたわけでもない人たちが整理するのですから、全く証拠を見ていない段階で審理対象を絞ることは非常に危険です。

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消費者庁構想について

今日の新聞に、福田康夫首相が「消費者・生活者の視点に立った行政への転換」の一環として消費者庁を設置する法案を提出すると発言したと報じられていました。
今までは消費者・生活者の視点に立っていなかったんかい!宗でなければ誰の視点だったんだい!というツッコミは、これを言うだけにとどめるとして、たしかに、消費者問題を扱う行政庁は多岐にわたっており(金融庁やら経産省やら場合によっては厚生労働省に文部科学省もそうですし。もちろん法務省も。)、一元化した方がいいという意見が出てくるのも分かります。
政府の案としては、まだ具体的に展開されているわけではなく、海のものとも山のものともつかぬものなので、評価は避けたいと思いますが、消費者問題に関心を寄せ若干の実務を経験してきたものとして言えることを箇条書きにしてみたいと思います。
①消費者問題―とりわけ嚆矢になった偽装問題を念頭に置けば―は、情報格差(業者の専門性)、被害の広範さ、被害は一気に広がりあっという間に倒産するか引き揚げられることから迅速な対応が求めるられる、という特色があり、民間のオンブズパーソンや司法部門(民事・刑事)の活動だけでは不十分で、行政が専門性を発揮した事前の広範な規制が必要な面があります。
②他方、事前の広範な規制は、反面、行き過ぎると、先行きが微妙な活動を萎縮させ、自由な刑雑活動を阻害する危険があるので、さじ加減が難しいです。
③どの範囲を消費者問題として捉えるかが難しい。これを狭く考えると、取りこぼしが出てきます。とりわけ、悪徳商法は、新しい制度ができてはその隙間をかいくぐって新しいものが生まれていくので、いたちごっことなる宿命を負っています。柔軟性が求められます。
④この消費者庁設置を機会として、新たな弱者切捨て政策が生まれないよう注意しなければなりません。保険業法改正によって、市井の共済組合が危機に晒されています。こういうことはあってはならないでしょう。

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銭の都合は木と竹を接がせる

前(この下)の記事で、新聞記事を引用しましたが、この記事は、感想です。
旧原爆医療法の規定は、現行の被爆者援護法に引き継がれて、「原子爆弾の放射能の傷害作用に起因」と、そのままの形で残っています。この一言に、被爆者は苦しめられ続けてきました。どういうことでしょうか。
原爆は、63年前、突然、罪のない民間人がひとりひとりの日常生活を送っている最中、その頭上で炸裂しました。その後の研究によって、爆風・熱線・放射線が複合的に被害をもたらしたと言われるようになりました。
爆風によって街と人が吹き飛ばされ、熱線によって全てのものが焼き尽くされて爆心地付近は消滅しました。そして放射線によって魔法にかけられたように次々と人は死んでいったのです。でも、これらは、順繰りに、爆風だけ、熱線だけで被害をもたらしたのではなく、これら3つが渾然一体となって人びとを傷つけ、殺したのです。
ケロイドを例にとります。熱線は人の皮膚を灼きました。同時に皮膚を貫いた放射線が治癒能力を失わせたのでしょう、被爆者のケロイドは、何度手術しても再び盛り上がり、永久に治ることはないのです。その周辺が皮膚がんになっていることもあります。どこまでが熱線で、どこまでが放射線科なんて、分かりはしません。
でも、法律は、それから「放射線の被害」だけを切り取ろうとします。理不尽です。そのことについて、従来、国が言い続けてきたことはこうです。―戦争は、国の存亡をかけたもので、誰にとっても大変なことであったのだから、戦災者は誰も等しくその被害を受忍すべきだ。ただし、原爆被爆者だけは放射線被害という特別の被害にあったのだから、それだけは科学的に分かる範囲で救済しよう。―「戦争被害受忍論」といわれ、この論理によって、東京大空襲の被害も、シベリア抑留者の被害も、中国「残留孤児」の被害も補償を拒まれ続けてきました。そして、それぞれの被害者集団に「自分は特別だ」と言わせることで、被害者同士を競争させる、悪魔の論理でもあります。これは、国の政策の誤りを国が償う「国家補償」の考え方ではなく、広範な立法裁量のもとにおける「社会保障」の考え方に基づくもので、被害のとらえ方そのものを間違っています。(そもそも予算の都合で権利を制約するのが「社会保障」という整理の仕方自体、間違ったものだと思いますが、このことは他日を期したいと思います。)

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謹賀新年

旧年中は大変お世話になりました。
弁護士登録以来取り組んできた原爆症認定問題や再審冤罪布川事件では、雌雄を決する年を迎えました。新年早々眦開き、国家の過ちを正す司法の姿をたしかめる年にする決意です。
弱い者にはトコトン冷たく、ドンパチやって儲けたい人たちが有象無象の世の中でも、みんなが人間らしく生きることの確信をもつために昨年から始めた「贅沢な勉強会ふなばし」も軌道に乗ってきました。忙しい中、同じことを考える仲間がいつもたくさん集まって、実のある時間を過ごして現場に帰ることは、今年も大切にしていきたいものです。
まずは、無事年を越したことを喜びあい。
今年もよろしくお願い申し上げます。
2008年 元旦
(今年の年賀状の文面)

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年末年始のつかいかた

弁護士も年末年始の過ごし方はいろいろです。旅行に行ったり、うちでのんびりしたり。
ただ、夏休みと一緒で、まとまった時間がとれるので、日頃なかなかできないことをする貴重な時期でもあります。
たとえば、こんなでした。一昨年=2005年末は、布川事件の再審開始決定に対し検察官が即時抗告をしたことを受け、今までの証拠を新しい気持ちで読み直す時間に当てました。それまで関与してきた多くの弁護人の作業の上塗りではありますが、40年前に集められた証拠書類(供述調書)を、時期と人物毎に一覧表を作成し、それぞれの時期に捜査機関がどんな関心を持って証拠を集めていたのかを探究する基礎作業をしていました。
昨年=2006年末は、公立保育園民営化訴訟の相談が持ち込まれたことから、児童福祉とりわけ保育問題やそれにまつわる法律学の知見を収集・検討していました。自分が今まで全く扱ったこともなく、先人たちの業績も限られたものであったせいか、何をどんな風に組み立てていくのか、
それから、2006年の秋に始まった刑事事件で、大量の証拠が開示されたので、その検討に当てたということもあります。やはり時期と人物毎に一覧表にしました。こういう作業はどこかでまとまった時間をとって一気にならないとどうにもなりませんが、通常の季節にやるのは困難を伴います。ある意味、年末年始にぶつかったおかげで、何とか時間を確保できたという感覚があります。
今回の年末年始は、来年の建設アスベスト訴訟の提起を睨み、環境問題(大気汚染や水俣病とか)や集団的な労働災害(じん肺とか)に関する論文、薬害(スモン、クロロキン、肝炎)や裁判例をしこたま集めました。アスベストに関しては、既に大阪地裁で先行訴訟があり、じん肺弁護団のメンバーが中核となった弁護団が中心になって準備作業を進めていますが、結局は自分で資料にあたって消化していかないと、ひとりひとりの原告予定者からの聴き取りもうまくいきません。

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薬害肝炎訴訟に学べ

薬害肝炎訴訟に関し、福田康夫総理大臣が一律救済を実現するため議員立法を決断したとの報道が流れました。
すごいなぁ、よくここまでもってきたなぁ、と、自分が関与していない事件ではあってもジンときてしまいます。
行政訴訟とりわけ大型の政策形成訴訟に取り組む弁護士の中でよく言われることは、大型訴訟での裁判所の和解所見は解決のための大きな力になるが、裁判所は所詮権力機関であり、国が呑むことが前提での和解を勧める傾向にある、ということです。特に予算の話をされると難しくなります。ですから、私たちは、国民の権利侵害を訴える行政事件で、国側が予算の話を持ち出してきたときは、「そんなの恫喝だ」と言って憚りません。国の過失によって国民の権利を侵害したら、その保障をするのは当然のことであり、予算枠を持ち出す性質の話ではないからです。(余談ですが、そんな話を通そうと思うのなら、国庫を通じて他の国民が犠牲にならないよう、その時々の行政機関の責任者の個人責任を認めろと言うことにならなければおかしいでしょう。)
この主事件に関わっていると、司法から何を言われても知らんぷりを通そうとし、国民世論から総スカンを食っても何も感じない官僚の抵抗を見せつけられます。国民の税金で生計を立てていながら、何と不遜なことでしょうか。官僚は選挙で選ばれたわけでも何でもないのです。民主主義の社会において、官僚が国民世論に刃向かうことに正当性など微塵もありません。

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多重債務相談ウィーク

先週、各地方自治体で「多重債務相談ウィーク」と称して、多重債務者向けの無料相談会が行われました。
千葉では、12月12日(水)、千葉・松戸・館山の3市で実施され、当局からは、面接相談81件、電話相談23件、合計104件の相談があったとの報告がありました。
「格差」やら「貧困」やらと騒がれている中、ともかくも、このような形で行政を巻き込み、弁護士会・司法書士会・クレサラ被害者の会が入って相談窓口を設置できたということは、とても大きな意味があると思います。これらの団体は多重債務問題に対する見識・経験を深めていますが、あくまでも私的団体であり、広報や設備、スタッフの規模には限界があります。その点で行政は民間では実現しきれない大きな力をもっています。これらがタイアップできたという経験は、これからの活動にとって、とても大きな一里塚になることでしょう。
そういう目で今までの様子を振り返ると、よくもここまできたものだという感じになります。5年ほど前、ヤミ金融が全盛の時代には警察に行っても相手にして貰えず、かえって「借りて返さないのが悪い」「合意していたんだろう」「傷つけられたときに来い」などと無茶苦茶なことを言われて相手にされませんでした。今では、各地の警察も、そのころよりはだいぶ積極的にヤミ金融を摘発するようにもなりました。サラ金問題に関しても、出資法の上限金利の引き下げに関連して各地で大運動を展開したことはまだ記憶に新しいところです。相談に訪れる方にも「グレーゾーン金利」について知っている人が増えてきました。
日本社会では、困ったときには警察・行政というくうきがまだまだ強く、行政がともかくも第一次的な窓口になることが多いです。各地の弁護士会も、行政との連携を強めています。
ただし、僕の個人的意見(弁護士会や当該委員会その他僕が参加している団体の意見というわけではありません。)としては、10月28日付けの記事でも書いたように、行政が消費者問題に介入することについて一定の危惧をもってはいます。被害救済という必要から生まれた連携と、権力がもつ危険性とのバランスをうまくとりながら進めていくという観点を忘れてはいけないとは思います。

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ビラ配布は建造物侵入?!

今日、葛飾ビラ配布事件の控訴審判決があったとの報道がありました。集合住宅のドアのポストに共産党のビラを入れた男性が建造物侵入として逮捕・勾留・起訴された事件について、1審は無罪、今日の控訴審判決は逆転有罪(罰金5万円)とのことです。
僕は、1審判決の要旨を入手したときは「現在の司法の水準からしたら、よく考えている判決だなぁ。」と感服していました。
この事案では、集合住宅の入り口にビラを断る旨の札が掲げられていたことから、居住者の許諾があったのかどうかが問題になっていたようです。被告人・弁護団は憲法の表現の自由から説き起こし、さらに居住者の知る権利という観点からもそのような札の射程距離を狭く見るよう主張していたようです。僕は、昨年、千葉県船橋市内で弾圧事件が起きた際、葛飾事件の支援者が「知る権利」の切り口を話しているのをきいて、膝を叩いたことをよく覚えています。
1審判決では「知る権利」について明確に判断した箇所は見当たりませんでしたが、きっと行間に入り込んで判断を裏から支えていたんだろうと思います。
ところが、控訴審判決は、報道で見るかぎり、「表現の自由が保障されるからといって、居住者の財産権まで侵害できない」といっているようなので、1審判決のような絶妙のバランシングはしなかったようです。

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刑事法の碩学

昨日は、名古屋市内で電話機リース被害対策全国弁護団の会議がありました。僕のいる千葉では、まだ弁護団組織は作られていませんが、僕の所属する千葉県多重債務対策会議のメンバーで事件として受任している弁護士が数名いるようです。大阪・京都・名古屋では弁護団の活動がとても活発で、交渉でも訴訟でも、被害者救済の成果を次々と獲得している様子が報告され、とてもいい刺激をもらいました。
で、今日は、その往復の新幹線の中で読んだ本の話です。手に取ったのは、團藤重光・伊東乾「反骨のコツ」(朝日新書、2007年10月)です。
團藤重光といえば、法律家の中で知らないものはいない、法律学の泰斗です。一時期最高裁判事にもなり、多数意見に阿ることなく、格調の高い反対意見を多数書いたことでも有名な方です。現在では、團藤刑法学・刑事訴訟法学には様々な批判が加えられていますが、一時代を築いた研究者であることは間違いなく、今でも刑事訴訟実務の重要な理論的支柱であることは間違いないでしょう。

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弁護士の12月

いよいよ師走になりました。どういうわけなのかは知りませんが弁護士も「センセイ」という敬称をつけて呼んでいただける業種のためか、12月は一般にどうしようもなく忙しいです。
例年12月は事件がどんどん解決していきます。やはり紛争を抱えたまま年を越したくないのでしょう。この時期の和解の席での裁判官の殺し文句は「気持ちよく年を越しましょうよ」「今年の内に解決しましょうよ」です。
まぁ、代理人の弁護士としても、年末年始に多くの仕事を抱えるのもしんどいので、こうした傾向は嬉しいです。
下世話な話をすれば、事件が解決し、勝利というか一定の経済的利益が依頼者本人にあると、その利益に応じて、弁護士は報酬を受け取ります。ですから、あまり口に出すことはありませんが、12月は弁護士にとっては稼ぎ時と言えば稼ぎ時です。
さて、僕は、今年、9~11月は原則として新件を受けていませんでした(9月24日付け記事「裁判迅速化と弁護士の嘆き」)。毎週1~3回、午後いっぱいまたは終日の証人尋問をしており、その準備も合わせ、相当の時間をとられていたからです。無罪を争う2件の刑事事件(うち1件は最近何かと話題になる痴漢えん罪事件)、原爆症認定訴訟、保育園民営化訴訟、藤田運輸事件、とまぁ、自分でもよくこの3か月を乗り切ったと思います。疲れとストレスが出たのか、軽度の帯状疱疹のようなものが出てしまいました(業務に支障が出るほどではありませんが。)。
3か月も新件を受けないと、少しは時間にゆとりができ、デスクワークができるようになりました。そうはいっても、集中審理の後には、その結果を踏まえた書面を作成しなければならないので、やはり楽ではありません。ただ、証人尋問の緊張感というか、証人尋問の際の神経のすり減り具合といったら半端ではありませんので、やや解放感があります。
ですから、今年の僕は、12月に事件が終了していくことも報酬を受け取ることもなくひっそりと年末年始に向かっていきます。
こうしてみると、ひたすら裁判の迅速を求める最近の司法改革の傾向は、現場に大変な負担を求める者だと思います。たしかに今まで五月雨審理とか何とか言われてはいましたが、事実関係を丁寧に解明するためにはある程度の緩慢さは必要だったのかもしれません。それと、実際に困っている方が迅速な解決を望むそのニーズをどう調整するのかが大切だと思います。

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藤田運輸事件・被告/原告本人尋問

11月2日の記事の続きです。
11月29日にプロシードエアーカーゴの代表取締役とその親、組合側の中心人物2名を尋問しました。
何故親が出てくるのかと言えば、この社長は親から借りた金で会社を設立したので、旧会社とは関係なく出資したのだと言いたいからようです。この人の反対尋問を担当した弁護士は、予め嘘の説明が準備されていることを恐れ、「どうやって用意したか」という質問はしませんでした。ここは弁護士の尋問技術として悩ましいところです。「どう答えられるか分からない質問はしない」というのが反対尋問の鉄則です。不利な証言を引き出してしまったときに切り返す準備ができないからです。
でも、裁判官は直球できいてきました。「どうやって用意したんですか」。これに対する答えは、「自分の事業の運転資金とか老後の蓄えとか…」とあっさりしどろもどろ。
次に社長に対する尋問がありました。
きいていくと、事務所は昔の会社と同じ、従業員や車輌も取引先もだいたい同じ、違うのは代表者と名前だけ、ということになってきました。僕から、「…ということですね。」ときいてみると、その代表者は「いいえ」という。
奈良何が違うのかと尋ねたら、「自己資金でやりました。」との答え。ハイ、そういうことですか。

労働事件に関する判例集を見ていると、この種偽装倒産には枚挙に暇がありません。
今国会で成立してしまった労働契約法制は、裁判実務が積み上げてきた労働者保護の法解釈を大きく後退させる危険のある立法ですが(国会答弁では裁判実務を確認するものとされていますが。)、やはりというかなんというか、偽装倒産に対する規制はとうとう盛り込まれませんでした。
でも、こんな乱暴なやり方が通っていいはずがありません。
この事件に関わり始めて3年が過ぎていますが、証人尋問という大きなヤマ場を経て、これから同解決に結びつけていくか、ここからが大切です。

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藤田運輸事件・被告本人尋問

昨日、僕を含め6人の弁護士で担当している労働事件で、一日かけて尋問を行いました。この事件と関わり初めて3年が過ぎています。
2004年3月、成田市内にある藤田運輸という運送会社で、大幅な賃下げが実施され、労使紛争に発展しました。すると、その会社は5月に関連会社である成田エアーポートサービスという会社の商号(社名)を自社と同じ「藤田運輸」と変更させ、6月に元からの藤田運輸(以下「旧藤田運輸」)の営業権や営業用財産を新しい藤田運輸(以下「新藤田運輸」)に移したのです。
その上で、旧藤田運輸は会社閉鎖を発表し、8月末付けで労働者を全員解雇しました。旧藤田運輸の多くの労働者が新藤田運輸に採用されましたが、賃下げに反対していた交通運輸一般労働組合(以下「交運労」)の組合員は採用されませんでした。
僕たちは、交運労とその組合員からの依頼で、このような藤田運輸の一連の行為は組合潰し目的の偽装倒産であるとして、新藤田運輸との間でも雇用関係が認められるべきであるとして裁判を起こしたのです。
ただし、労働問題は早期の解決が望まれることから、2004年9月にまず仮処分を千葉地裁に申し立てました。複雑な論点を含むにもかかわらず、審理は3か月ほどで終了し、2005年2月には、会社の行為は組合潰し目的の偽装倒産であって、交運労の組合員も新藤田運輸の労働者としての地位が認められるべきであるとする仮処分決定が出ました。ところが、会社は仮処分決定に従わないので、4月に訴訟を提起したのです。
その間、3月には、新藤田運輸の役員がさらにプロシードエアーカーゴ(以下「プロシード」)という会社を設立し、新藤田運輸の営業用財産が順次プロシードに移っていったのです。取引先や労働者もプロシードに移っています。新藤田運輸は、2005年5月には営業を休止したというのです。
このような動きが分かったので、僕たちは、一定の調査期間を経て、2005年11月、プロシードに対しても同様の裁判を起こしました。
昨日は、これらの会社のうち、新・旧藤田運輸の代表取締役を務めていた人物合計3人を尋問したのです(新藤田運輸は2004年末から2005年4月にかけて代表者が交代しました。)。

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消費者保護に潜む監視社会への途

最近気をつけなければ行けないと思い始めているのが、消費者保護が監視社会化の突破口として利用されているのではないかということです。
近ごろ各地の役所で防犯グッズの展示をしています。「体感治安」という言葉が作り上げられて、人びとの不安感が更に煽られています。まぁ、報道を見る限り、町中の凶悪事件が相次いでいますから、それはそれで全く理由がないとはいいません。でも、ときどき、子どもに「防犯」などと書かれた幟旗をもたせて大勢練り歩いているのは、どうにも異様です。子どもを政策宣伝に使うのはナチスドイツでもそうでしたが、直接攻撃をしづらい存在である子どもを大人の盾にするのは、それ自体、良くないことのように思われます。
そんな中、「ヤミ金チラシを警察と一緒に撤去しよう」という案内がまわって来ました。
何を根拠にそんなことができるのかと思えば、屋外広告物法なのだそうです。これは、どのようなことが書(描)かれているかにかかわらず、一定の方法による広告物を行政が禁止することができるという代物です。僕は、表現の自由の観点からして余りにも広範な規制をかけるもので、違憲だと思っています。
たしかに、ヤミ金被害を撲滅するためには広告規制が必要だということは理解できます。それなら、それ用の規制条例などを検討すべきだと思います。現に、ピンクチラシについては規制情勢が各地にあります(子どもに見せたくないし、人身売買の温床になり、それが暴力団の資金源になっている可能性もあります。)。
さらに問題なのは、警察と住民が一緒になって撤去作業を行うことです。
警察は一応法律上の根拠をもって撤去作業をします。ところが、住民はどうでしょう。一般住民はいいなんてどこにも書いてありません。法律の根拠もなく撤去したら器物損壊罪という犯罪が成立してしまいます。

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刑事裁判の迅速化と弁護人の苦労

裁判迅速化で大変なのは民事・行政事件だけではありません。刑事事件もそうです。
僕は、率直にいって、刑事事件に迅速性の要請は馴染みにくいと考えています。
関係者の立場からすれば、被害者がいれば早く決着をつけて区切りをつけたいと思うでしょうし、警察も検察も裁判所も長いこと事件を滞留させたくはないでしょう。
これから裁判員制度が始まれば、いろいろな仕事をもつ人たちが裁判に協力することになるのですから、ますます迅速に、ポイントを絞った審理が望まれることでしょう。
現在、そのための公判前整理手続が行われることがあります。これは、裁判員制度のもとで短期間に充実した審理を行うため、公判が始まる前に、裁判所・検察官・弁護人の三者で主張や証拠を整理し、主要な争点をあぶり出す手続です。この手続きを経ると、いつ、どんな証人を尋問して、何を明らかにして判断するか、いつごろ審理が終結するかが明確になります。いわば裁判の納期が設定されるのです。
こうすると、効率的に審理が行われるように思われます。でも、でもです。弁護人としていくつかのえん罪事件に関わってきた経験からすると、審理を進めながら新しい事実が分かってくることが往々にしてあります。特に検察官川から出てきた証人は、弁護人は事前に面接などできませんから(法的にできないとまではいいませんが、実際上ほぼ確実に面会を拒絶されるか、トラブルが予想されることが非常に多いので、しないというよりできないといった方が現場の感覚に近いです。)、公判のそのときになるまで、その証人から何が引き出させるのか、確実なところは分かりません。もちろん、相当程度の予測は立ちますが、原則として公判で話したことが証拠になりますから、結局は同じことです。公判では、被告人や弁護人が疑問に思うことを反対尋問の機会にぶつけます。すると、今まで存在が分からなかった証拠があることが分かったり、今まで問題にもなっていなかった事実関係が実は重要なターニングポイントになっていたりすることが間々あります。
このように、訴訟というのは発展的な構造をもつものなのです。

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裁判迅速化と弁護士の嘆き

裁判は時間がかかるもの、とよく言われます。でも、今のところ、迅速にやるための基盤というかインフラが整備されていません、という話です。
法律相談をすると、よく「裁判起こしたら、どのくらい時間がかかりますか」と言われます。僕は、だいたい「訴え起こして相手のところに訴状が届いて、1回めの裁判(口頭弁論)まで1か月半くらい、それから相手の言い分が出てきて、こっちが反論して、一番早い和解でそのころだから、まぁ最短で半年はかかりますね。」と答えています。たしかに弁護士に辿り着くまでに相当の葛藤があったでしょう、自分で解決しようと思ってそれこそ七転八倒して、もうこれ以上時間を掛けたくないと思って弁護士のところに来たんでしょう、それであと半年(最速)ですかぁ、となれば、普通はげんなりします。
それはそれ、裁判の性(さが)で、双方の言い分を出し合って、食い違うところがあったら証拠を出し合ってそれについて更に意見を言い合うと、それでようやく物事が分かってくる…というプロセスです。当のご本人にしてみれば、自分は事実関係がよく分かっているから、もどかしくてしょうがない。
でも、自分で解決できなかったのだから他人に解決してもらう、他人に解決してもらう以上はその他人に納得してもらわなければならない。ということ、なんですよね。
特に長くなりやすいのが、労働事件や行政事件、医療事件に建設紛争、大量の被害者がいる消費者事件ですかね。最近は、この種の事件で計画審理の運用が盛んになっています。ある時期までに判決をすることを見据えて、逆算して、いつころまでに言い分を出し合って、いつころどのようにして証拠を調べるか、ということを考えるやり方です。
ただ、これをやり出すと、今度は、事件が立て込んで結局時間がかかる、順番待ちになるという現象が起こります。

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安倍晋三雑考

どこもでも国民の支持を得られないやり方をするものです。だいたい、始まりにおいて衆議院選挙を経たわけでなく、参議院選挙を無理矢理政権選択選挙と位置づけたうえ大敗北したのに辞任することなく、いよいよ国会運営ができなくなったら体調が悪くなったから辞ーめた、という国民の理解とはかけ離れた態度は、ある意味一貫してはいますが。
こうなるまでの間に辞めるタイミングなどいくらでもありました。所信表明だけしてそこで放り投げるなど、最悪のタイミングです。
僕が仕事上関わりのある政治課題だけでも、原爆症認定基準の見直し、中国「残留孤児」に対する支援立法、割賦販売法の改正と、臨時国会での進展が大きく期待されていた問題がたくさんあります。ただし、とりわけ前二者については与党のみならず野党も一致して救済策を打ち出すことを公約していたわけですから、政治空白を作ることは党派を超えて許されないことです。官僚の抵抗を跳ね返すよう、僕たちもふんどしを締め直す必要がありそうです。
テロ特措法の問題はいいのですが。あんな、憲法違反の法律を延長する理由はありませんから(政府見解を前提にしても集団的自衛権は解釈論上許されないはず。)。延長なり新法制定なりができなければ、11月に自衛隊は駐留の法的根拠を失って撤退するということになるでしょう。

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司法修習生も就職難の時代

一昨日の朝日新聞に、就職先未定の司法修習生(司法試験合格後の研修生。司法修習を修了しないと、裁判官・検察官・弁護士を資格を取得できません〔一部例外を除く。〕。)が100名を超えると報道されていました。どうも、これはアンケート方式による調査のようなので、回収できなかった分を考えると、実際の数は相当なものになるのではないかと危惧されます。
かつて司法試験の合格者は500人という時代がありました。それが800人になり、僕が合格したころは1000人でした。今は1500人です。一時期、検察官の増員のために司法修習生を増員していた時代もありますが、最近の増員は、弁護士を大増員して、弁護士社会を競争社会にするところに主眼があるようです。
こういう事態に至ると、法律事務所は一部の大規模共同事務所を除いては超零細事業体ですから(僕のいる事務所も弁護士11名・事務員7名ですが、これでも千葉県下では最大級規模になります。)、そうそう新規登録した弁護士を吸収できるわけではありません。
弁護士増員を叫んでいた層の中には、企業内弁護士といって、弁護士資格を有している人材を会社で採用していくということも言われていました。弁護士には、弁護士会の懲戒制度を背景に高い倫理感が求められますので、最近話題のコンプライアンス(法令遵守)のためとかなんとかということなんだそうです。僕はこういうやり方に疑問をもっていますが、それはともかく、実際には企業内では当初期待されていた程には吸収されていないようです。もともと企業内弁護士の風土がなかった日本の企業社会では、法務スタッフが充実していたたため、アエとコストのかかる企業内弁護士を雇用する必要はなかったということでしょうか。そうだとすると、弁護士増員を言っていた人たちは、この司法修習生たちにどう責任をとるつもりなのでしょうか。
また、こうなることは分かっていたのに、さんざん司法修習生を採用した最高裁はどう責任をとるのでしょうか。

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夏の読書感想文~「当事者主権」の明と暗(その2―暗)

前回(画面上では下)の続きです。
なるほど、「専門家」といわれる人たちの権威に負けていると、不利益を受けることがあるという話でした。したり顔をする「専門家」の「知見」にメスを入れるのは、やはり現場の苦労であり、生の事実です。困った!という被害です。「専門家」お仕着せではなく、当事者発の要求こそが、世の中を動かしていきます。何てったって「自己決定権」です。
ただ、僕も5年近く弁護士をして、いろんな運動に関わってみた感じからすると、そうそう一筋縄ではいかない感じがしています。
運動体の組み方にしても、「当事者主権」は旧来型の上意下達ではいけないといい、個々の市民の集合体のようなものをイメージするようです。たしかに、こうすると、教条主義的に凝り固まったイデオロギーからは解放されます。こうした「市民連絡会」的な組織形態は魅力的で、そうできたらいいと思います。でも、もともと他の何かで一致している人たちでないと動き出すのが大変です。資金や資材をどうやって確保するか、という問題もあります。「とりあえずの広がり」というのもなかなか困難です。実際のところは、その辺のバランスということになりましょうか。
それよりも気をつけなければならないのは、「利用者自身による福祉」という言葉そのものには、福祉切り捨ての逆説も含まれてしまう危険性です。

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夏の読書感想文~「当事者主権」の明と暗(その1―明)

今朝、2か月ほど前に買ったきり「つん読」になっていた本を読んでみました。中西正司・上野千鶴子著「当事者主権」(岩波新書)です。2003年10月に第1刷で、僕が買ったのは2003年3月の第9刷ですから、かなり増刷されていることになります。1回何冊印刷しているのかは知りませんが。
上野千鶴子さんといえば、フェミニズム研究の第一人者としてよく知られている方です。僕も、大学の教養課程でこの思想に触れ、近代の啓蒙思想を学ぼうとする中で、「こんなの男性中心社会のものよ」といきなり相対化されてしまったという、思想遍歴的には随分な衝撃を受けたのを覚えています。
今頃この本を手に取ったのは、この夏の僕の研究テーマというか、理論立てたいことの材料があると思ったからです。それは、行政プロセスに民間人とりわけ当事者がどう関わるべきかということです。
僕は、仕事で、原爆症認定問題に携わって5年になろうとし、今年になって公立保育園の民営化問題に関わり始めました。これらに共通するのが、この問題です。
原爆症認定申請に対する審査の過程では、厚生労働省が用意した「専門家」による審査会の意見に依拠して厚生労働大臣(というか実質的には厚生労働省)が認定/却下の処分をします。公立保育園の民営化問題でも、必ずといってよいほど自治体当局が用意した「専門家」によって構成される諮問機関が登場し、その諮問結果に依拠した民営化プロセスがとられるという格好です。
なぜそのような手法がとられるというのでしょうか。行政の「客観性」「公正さ」「公平性」を維持するためだといわれます。
「当事者主権」では、(原爆症や保育の問題を取り上げているわけではありませんが、)このような「専門家」を活用する行政手法を「専門家主義」と称し、これに対抗するものが「当事者主権」だというのです。
恩恵や慈善としての福祉ではなく、利用者自身の人格の尊厳に基づき、その主体性を尊重する思想のようです。医療の世界では、既に「インフォームド・コンセント」が当たり前ではないかと指摘しています。利用者自身が福祉サービスを供給するという発想です。

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8月9日

62年前の今日・8月9日は、長崎に原爆が落とされた日です。また、満州(現・中国東北区)にソ連軍が侵攻してきた日です。対米戦線でも、対中戦線でも、決定的な出来事があったのです。
活字や映像で戦争が扱われることは非常に多いですが、その内容は、まさにその瞬間であるか、その後間もない時期、せいぜい数年間のことが多かったように思います。原爆であればその投下直後に町が消え人が消えたその瞬間、あるいは皮膚や眼窩が垂れ下がり焼けただれた皮膚を垂れ下げたまま歩く人たちの映像、満州であれば命からがら逃げてきた引揚者という具合です。
でも、それで終わっていません。生き残った被爆者は原爆症に苦しみながら死んでいき、残留孤児は中国で不遇な人生を送らされ、やっと帰ってきた日本でも差別を受けてきたのです。そして、こうした戦争被害は、被害者の人間関係や社会生活もズタズタにしました。被爆者は結婚・就職で差別を受け、残留孤児は帰国しても居場所がありません。
どちらも、日本が無謀な侵略戦争を展開した結果です。そして、日本が戦争責任を果たさない代わりに、被爆者はアメリカからの補償を受けられず、残留孤児は中国で差別されてきました。安倍首相は「戦後レジーム(体制)の脱却」などといっていましたが、そのようなことをいうのならば(別に支持しているわけではありません。)、この人たちに十分な補償と謝罪をすべきです。
そして、小池新防衛大臣は米軍再編への協力を重視しているようですが、米軍の世界戦線の展開がどのような結果を招くのかは、この1945年8月9日の出来事がよく物語っています。現時点でも、アフガンやイラクがどうなっているかを直視すべきです。私たちは、今日のこの日を、戦争の愚かさを知らされた日として記憶し続けなければなりません。

僕が弁護士登録をした2002年10月は、ちょうど、中国「残留孤児」国賠の提訴準備が大詰めを迎え、原爆症認定訴訟の提訴準備も着々と進められているころでした。僕は、この2つの事件を通じて、戦争観や憲法観、近現代史、国際法を学び、大型行政訴訟を経験することになりました。戦争や民主主義を語ることは、ともすれば色分けされ、敬遠されることがありますが、これらの事件に触れることで、事実に即した真っ当な補償要求を代理する機会を得、迷うことなく非武装平和路線や核廃絶を訴えることができるようになりました。
これからも、ずっと8月9日を記憶することになると思います。

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パワハラ

労働問題の相談では、最近、決まったように「パワハラにあった」ということがいわれます。職場のいじめだけでなく、解雇事件でも、残業代未払でも。職場での使用者-労働者という力関係の格差を背景に、労働者の人格を蹂躙するのがパワハラですから、広い意味では、解雇や残業代不払などの労働法規違反もパワハラになりえます。
というか、「パワハラ」という言葉が流布したのはここ2~3年くらいのことですが、そのことによって、職場にある、さまざまなトラブルを形容する「言葉の受け皿」とでもいえるものができたということでしょうか。
現在、全国の労働弁護士がパワハラ救済のための法理の形成に腐心していると思います。僕もその一人ですが、参考にしているのは、セクハラに関して議論された、職場環境配慮義務という論理です。

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弁護士の夏

弁護士は日常的に超多忙です。昼は法律相談・打合せや法廷、会議でぎゅうぎゅう詰めで予定が入っており、夜は夜で弁護士会の委員会活動が入っていたりします。さらに、複数の弁護士で弁護団を組んで当たるような事件では、弁護団会議を夜に開くことが多く、それが全国的な事件ともなると、今度は弁護団の全国連絡会などといって週末に集まることになります。
刑事事件の接見(被疑者・被告人との面会)も、まとまった時間のとりやすい早朝や夜間に行うことが多いと思います。
そんなこんなで、まずは夜や週末から先に予定がじゃんじゃん2~3か月先まで埋まっていき、日中の予定は1か月単位で埋まっているということになります。弁護団活動などの多寡によってはここまでタイトにはなりませんが、弁護士会の委員会活動は、特に地方でははずせないので、やはり夜まで拘束されます。
そんな弁護士業界でも、多少はゆとりがあるといわれる時期があります。年末年始、3月末から4月初め、それから8月の上旬~中旬です。いずれも法廷の予定が入りにくいためです。
ところが、これも実は違っていたりします。要するに、日頃できないような、まとまった時間を要する作業をすることになるのです。

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戦争の被害と加害のクロスオーバー

すっかり間があいてしまいましたが、久間発言を機縁に、戦争における被害と加害の関わりを考えてみたいと思います。
なぜ日本に原爆が投下されたのか、については軍事評論家や歴史家、政治学者から法律家が様々な指摘をしています。ともかくも戦争終結を目的としていたことと理解すること自体は恐らく誰もが一致できると思います。ただし、戦争の早期終結の動機については、①米軍の犠牲を少なくしたかったから、②戦後の勢力分布を考慮してソ連を排除したかったから、③こうでもしないと日本軍は不毛な抵抗を続けたであろうから、等々、いくつかの想定ができるでしょう。今回、これらの論評は避けます。
ともかくも、無謀な戦争を開始し継続したことの結果であることは間違いありません。その意味で、原爆投下は、軍部の対外的な侵略行為=加害行為の責任を負わされたという側面があることは否定しようがないと思います。原爆を「正義の爆弾」と考える、アメリカやアジアの大きな世論からは、このようなことが導かれるでしょう。
他方、広島・長崎への原爆投下は、非戦闘員の無差別大量虐殺である点、被爆者を後遺症に陥れ不必要な苦痛を与える点において、国際法違反の行為であって、被爆者は違法行為の被害者でもあります。日本軍の侵略行為が違法だからといって、原爆投下が違法でなくなるわけではないことは勿論です。
さて、話を「しょうがない」発言に戻します。これらを「頭の整理」と断ったとしても「しょうがない」と言うのは、どういうことを意味するのでしょうか。

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中国「残留孤児」訴訟

この週末、中国「残留孤児」問題で官邸周辺が大きく動きました。
僕も、2002年12月の東京地裁の第一次提訴以来、この集団訴訟の弁護団に参加しています。一応、常任弁護団(実働要員)のメーリングリストにも参加し、それとしての連絡も回っていますが、ここ2年近くは、原爆症認定訴訟と布川事件で猛烈に忙しくなり、「残留孤児」訴訟にはすっかり不義理していました。とはいっても、その舞台裏を横目でみていた者としても、感慨が全くないわけではありません。
収入認定の問題こそ残ったものの、現在の状況では素晴らしい成果であったと思います。僕たちは「普通の日本人として人間らしく生きる権利」を旗印に、4年半の裁判闘争を続けてきました。その中には、先行訴訟があり、大阪・東京地裁その他の敗訴判決があり、神戸地裁の勝訴判決があり。
でも、ここでもう一回考えなければなりません。

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久間防衛相発言

久間防衛相は直ちに辞任すべきです。
報道によると、九間防衛相は、昨日、千葉県柏市内で開かれた講演会で、広島・長崎の原爆投下は「しょうがなかった」と発言したそうです。
僕は、今朝の新聞報道を見たとき、目を疑いました。何という不見識でしょうか。戦局は既に決まっている段階で、米国が戦後の勢力分布(敢えて版図と言ってもいいかもしれません。)を見据えて、ソ連の関与をなくすために原爆を投下したということは、多くの資料によって明らかにされています。
そのうえ、この原爆は、そのような政治的な意図のもと、非戦闘員、子ども・女性・老人がそれぞれの生活を送っているところに投下されたのです。一瞬で町は消滅しました。「廃墟になった」ではなく「消滅した」のです。そして、被爆者はその後も様々な後遺症で苦しみ続け、国がそれを原爆被害と認めないことから原爆症認定をめぐる集団訴訟にもなっています。
なぜ核はいけないとされるかと言えば、このように、不必要な、否、その量と質において到底言葉にはならない規模の被害を人類に残すからです。
久間氏は、今後、

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自衛隊の市民監視について

さる6月6日、共産党は、自衛隊が自衛隊のイラク派遣に反対する市民運動を監視していることを示す内部文書を入手したと発表しました。
同党のHPにアップされている文書を僕も見てみました。びっくりです。軍隊(自衛隊)は文民の監視下で統制されていなければならない存在なのに、逆に市民運動を監視するなんて。7日朝、この記事を読んだとき、僕は戦慄しました。
いったい、自衛隊は、何から何を守る組織なのか、もう一度メスが入らなければいけないと思います。
しかも、防衛省は調査活動の存在は認めつつ、この行為の違法性を認めていません。つまり、今後も続けるということでしょうか。

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光町事件についてのある報道を見て

どうもおかしいです。ひどいステレオタイプ報道を見てしまいました。5月27日夜フジテレビの「新報道プレミアA」です。
光町の事件が扱われていました。「21人の弁護団の目的」といい、死刑廃止論の宣伝に利用しているという論調です。以前から弁護人に就任している2名の方針についても同様の評価が加えられていることが多かったと思います。
僕は遺族の男性の心情は理解できるつもりです。そして、法律家でもあり、今回の最高裁の差し戻し判決が、本当に死刑を回避していいのかどうかという観点から再度の事実審理を広島高裁に求めているということも理解できます。
それらはそれらとして一つの事情であると思います。
ただ、気になるのは、「殺人ではなく傷害致死」という主張は、少なくとも報道から見る限り、司法解剖に基づいて作成された鑑定書にある、遺体に残された痕跡の記録(所見)から再現される犯行態様はこうこうで、それからすると殺意があったとは考え難いという内容であるようです。
そして、これも報道から見る限りですが、差し戻し前控訴審までと上告審とでは弁護方針が異なり、上告審から就任した弁護人は関係記録を精査した上でこのような論点を発見したように見受けられます。
これは証拠をどう評価するか、証拠から明らかになった事実をどのように法的に構成するか、の問題であり、今まではこの観点からは特段の審理がされていなかったようですから、事実を審理する裁判所(地裁または高裁。本件では高裁。)で十分に審理を尽くすべきことだと思います。
それを、この番組は、

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自由法曹団5月集会

昨日、今日と、熊本に行って自由法曹団の5月集会に参加してきました。正式には「五月研究討論集会」というらしいです。
弁護士登録して5年目、ようやく参加できました。03年は原爆症認定訴訟の提訴準備、04年以降はいろんな団体の定期総会やなんかで講演・参加していたからです。
冒頭は後藤道夫都留文科大教授の講演。新自由主義的思想と対決するために、格差社会の被害者である若者と結んだうえで改憲阻止闘争を進めることの重要性が指摘されました。

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憲法記念日

もう日付が変わりましたが、この話をしないことには収まりません。
60年目の憲法記念日でした。僕は、千葉県憲法会議主催の集会に参加してきました。
元山健龍谷大教授の講演。あとからきいた話、主催者からは「チマチマした条文の話はしないよう」との依頼(元山先生はふざけて「命令」とおっしゃっていました。)があったようで、ベルギーに行って見聞きしてきたことを題材に、ウィットのきいた骨太のいい話を聴かせてもらいました。ベルギーは1831年段階で既に立憲君主制の憲法をもっていて、1993年の改正では宣戦布告条項を削除したとか。なんとなんと。
憲法改正策動に対抗するために何と儒学者の話をしたりしていました。かなりいいネタを仕入れることができました。ネタバレはよくないので、ここでは抽象的にしておきます。どんないい話か知りたい方は、元山先生を呼ぶといいです。
集会を終えて一息つけば、決して楽観できない状況が広がってはいます。
右を見れば格差社会、左を見れば監視社会、まだ前に戦車は現れてはいません。お膳立てをしている最中です。
参議院選までがとにかくたいへんです。被爆者問題も、「残留孤児」も、憲法も。

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知らない国の交番のお話。

知らない国の交番のお話です。
交番のお巡りさんは、みんなのために今日も大忙し。ケンカがあったといえば飛んでいって仲裁し、事故だと言えば駆けつけてみてまわります。
町中に防犯カメラがあるので、事件が起きればお巡りさんは現場に急行!です。

あるとき、そんな交番の前でひったくり事件が起きました。でも、お巡りさんは出てきません。
あれれ…? どうしたのでしょうか。
交番の前だから防犯カメラがなかったんです。だから、お巡りさん、見てなかったんです。

知らない国の交番のお話でした。

さて、今日、新聞を見たら、柏駅前に防犯カメラが設置され、いくいくは、異常な行動をしている人をカメラが察知したら警報を鳴らせるようにもするとか。なんでも、正常な行動を数値化して記憶させ、それを逸脱した行動を認識できるようにするんだそうです。
なんだかなぁ。そんなこと数値化できるほど科学が発達しているとも思えませんが。誤作動なんてしたら、誰がどう責任をとるのかしら(法律家はこんなことを考えてしまいます。悪しき隣人といわれる所以です。)。
なんか、ぎすぎすしてきました。みんながピリピリしていたら、余計ストレスフルになるだけなのに。
こういうの、見守ってくれているって、思いますか?

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ジュリストの憲法特集にみる憲法学会の動静

毎年この季節になると、新聞の書籍広告欄は、思い出したように憲法一色になります。
多少食傷気味になるかもしれないけれど、そういう時期があってもいいかなとは思います。
ところで、僕たち法律実務家がよく読む雑誌に、「ジュリスト」(有斐閣)があります。月2回の発刊ですが、いつも、時宜に適ったテーマを特集し、それこそ学会の重鎮たちや新しい法律の立案担当者、最高裁判決なら担当調査官の開設、東大の各種判例研究会の成果物である評釈などがあって、法律実務家たるもの、この雑誌に何が載っているかは注意していなければならないと思われます。
その「ジュリスト」は、毎年5月1日・15日合併号の特集は必ず憲法を特集します。この特集の組み方を見ると、憲法学会の動向や問題意識が何となく伝わるのです。
ここ5年くらいのものを見てみると、

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少年法改正について

4月19日、少年法の改正案が衆議院を通過し、参議院に送られました。
今回の改正の大きなポイントは、①少年院に送致できる年齢を14歳から「概ね12歳」とすることと、②14歳未満の触法少年に対する警察官の調査権限の拡大です。もう一つあげるならば、③保護観察中の少年が遵守事項を守らなかった場合には少年院送致ができるとする点です。なお、④公的付添人制度も加えないと不公平ではあります。
立法過程を知るのに入手しやすい資料としては、ジュリスト1286号(2005.3.15)の特集記事「少年の保護事件にかかる調査手続等の整備」があります。
安倍首相は、被害者の納得に言及します。あれ?と思わなければいけません。少年手続は、いつから処罰感情を満足するための制度になったのでしょうか。少年院送致は、いつから刑罰として位置づけられることになったのでしょうか。保護観察を受けた子が少年院に送られるのでは、二重の処分にならないでしょうか。
少年手続については、保護主義がとられており、更生のためのプログラムを指向するように法は組み立てられています。現行の少年法の枠組を維持する限り、少年院送致が刑罰のように機能しているのだとすれば、それは法の趣旨に反した実務であり、実務の方こそ改めなければなりません。
また、安倍首相が強調するような実証的データがあるのでしょうか。私たちは、少年事件を起こす子たちには様々な社会的背景・家庭的背景があり、社会全体でカバーしなければ再犯の誘発にしかならないことを経験的に知っています。端的にいえば、格差社会の是正です。
それに、警察の調査権限の拡大は、可塑性に富む子どもの特性を全く無視するものです。昨今の警察の無茶によるえん罪の多発、監視社会問題にへの配慮は感じられません。
しかも、今回、国会では、修正案を出して何時間かしたらもう採決です。民主主義もへったくれもあったもんじゃありません。
国民投票法といい、教育基本法改定といい(さらに教育三法の問題があります。)、この少年法改正といい、国会は、次の時代を担う子どもたちの健全な育成とはどうあるべきと考えているのでしょうか。今からでも遅くありません。大いに議論されるべきです。少なくとも、前回の少年法改正(逆送の拡大、検察官関与手続等)の際にはもっともっと大きな議論があったと思います。

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伊藤一長長崎市長を悼む

4月17日夜、伊藤一長長崎市長が凶弾に倒れるという報道に触れました。
そして、翌朝、非常に悲しいニュースが流れました。
世界は、非常に大切な人を失いました。
反核平和運動の担い手の一人として、この事実を悲しまないわけにはいきません。
そして、どういう背景事情があるにせよ、暴力によって、しかも、かけがえのない命を奪って、何かしらの目的を果たそうとしたとすれば、その経過はしっかりと解明され、しかるべき裁きを受けなければならないでしょう。
僕たち残された者たちには、伊藤市長の遺志を受け継ぎ、核のないアジア、核のない世界を追求していく使命があります。
それこそが、何よりの弔いと思うのです。合掌。

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僕なりの反戦の裏付け

ちょうど3年前、イラクで3人の日本人が人質になる事件が起こりました。そのうちの1人が今日の東京新聞に出ていました。
このころ、原爆症認定集団訴訟の支援の輪を広げるため、僕たちは劣化ウラン廃絶市民キャンペーンにも協力を求めていました。そんな矢先、こういう事件が起こったのです。
あの事件が起こったときは、集団訴訟のちょっと前にたった一人で原爆症認定を求めて裁判闘争をしていた東一男さんの件で東京地裁の勝訴判決が出、その控訴期間中、国会や厚生労働省で控訴断念に向けた行動をしていたときのことでした(結局不当控訴されましたが、東京高裁は控訴棄却し、厚労省は上告を断念して勝訴が確定しました。)。
原爆症認定訴訟弁護団が母体となって人質家族弁護団が結成されました。東京の人たちが中心で、千葉の僕はその活動を遠巻きに見ることしかできませんでしたが。
今も思い出します。自己責任―何についての責任なのだろうと本気で悩みました。理解できませんでした。イラクの混乱を招いたのはこの人たちのせいでしょうか。

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国民投票法案

去る4月13日、衆議院本会議で国民投票法案が自民・公明の賛成多数で可決されました。
結局、有料広告は投票前2週間に限って禁止し、法施行までは改憲案の提案はできなくなってはいます。
でも、本来時間をかけて討議されなければならない憲法改正問題について有料広告が投票2週間前まではすきにできるというのでは、お金のある人たち(→会見に積極的な人が相当いると思われる)が金に飽かしてじゃんじゃん宣伝し、お金のない人たちは宣伝媒体から排除されるということは必定です。
その上、有効投票数の定めもなく、国家公務員の政治活動についての罰則規定は適用排除されていません。大学の先生が意見を表明することも「地位利用」にあたるとして禁じられています。もう、誰も何も言えない中でただただお金のある人たちの宣伝ばかりがされる中で国民投票しようという法律です。
こんなひどい手続は他に例がありません。今からでも決して遅くありません。とにかく食い止めなければ大変な世の中になってしまいます。

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放送法改正案に思う(国民投票法案に絡めて)

先週末、放送法改正案が閣議決定されたという報道に接しました。最近のいくつかの放送番組でみられたでっちあげの今後の対策だとのことです。今までこういうことには行政指導で対処してきたことに対し、行政処分(再発防止策を提出され、意見を付けて公表)で対応することにしたということのようです。
物の本にはマスコミの放送の自由は無制限ではなく公共の福祉に基づく一定の制約があり得るとあります。その理論構成は様々ですが、放送番組の社会的影響に配慮する点で一致しています。
でも、私は、今の内閣にはそのような法案を閣議決定するような資格はないと思っています。従軍「慰安婦」の番組に関する圧力疑惑、教育基本法改正の際のタウンミーティングのことを思えば、まず総理大臣自身が政府のやったでっち上げについて真摯に調査して再発防止策を発表するのが先です。そのことを放っておいて、民間への監視を強めるということは言語道断です。
ところで、ここ数日の新聞を賑わしているものに、憲法改正のための国民投票法案があります。この法案は問題だらけで到底容認されるべきではないと考えていますが、大きな問題の一つに、有料広告を禁止せず、国会議席数に応じて放送時間・回数・新聞掲載の寸法を決めるというものがあります。そうなれば、多数派・金持ちの情報垂れ流しになります。
そのうえ、行政機関が「これ嘘」といえば行政処分ができるというのでは、体制批判への萎縮効果は抜群です。みんなこの伝家の宝刀を抜かれることを恐れ、多数派や行政に都合のいいことしか言わなくなるでしょう。
国民投票法案と放送法改正が一緒にできたとき、もう、マスコミが憲法改正一色となることは必定です。
これは異常なことです。

そもそも、誤った言論は、根拠をもった他の言論によって是正されるのが民主主義社会の原則です。行政機関が「これが正しいことよ」と定義するのはおこがましいにも程があります。
マスコミには事情能力が期待できないなどといいますが、現に「あるある」の件は関係者の内部告発で明らかになり、その後もばんばん明らかになっているではありませんか。
こういうことにかこつけて、国民を縛ろうなんてとんでもない話です。
ただ、このことに気づいていない人が多い気がします。

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監視社会と密告社会にレッドカード

昨日、千葉市文化会館で「共謀罪と弁護士の依頼者密告制度を考える市民集会」と題する集まりが催されました。
3時半に開演となり、ジャーナリストの大谷昭宏さんから基調講演「監視社会と密告社会の行き着く先」をいただきました。共謀罪は何をしたわけでなくても相談しただけで犯罪を成立させてしまうものであり、人の心に方が分け入る点でまず不当、それだけでなく自首した人には刑の減免が認められているため密告を奨励していることになります。
「弁護士の依頼者密告制度」というのは、ゲートキーパー(門番)制度を言い換えたものです。国際的・組織的犯罪対策として、資金洗浄(マネー・ロンダリング)を防止するため、「疑わしい取引」の存在を察知したら、日弁連を通じて警察に通報せよという制度です。
大谷さんから、いずれも市民社会の基礎にある人間同士の信頼関係を破壊するものだという指摘がありました。

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4月。

季節が移るのは早いもので、今年に入ってからもう3か月が過ぎ去りました。まだ振りかえるのには早いけれど、昨年消費者問題に時間とエネルギーの多くを割いてきたのとは対照的に、今年は労働・行政問題に軸足が移りつつあります。
さて、僕たちは弁護士ですから、いつも新しい法律に対応しなければなりません。新しい裁判例が出たらフォローします。いずれも基本的な商売道具ですから、どんな忙しくても日々の研鑽を欠かすわけにはいきません。
4月になると、いろんな専門書が発売されます。大学の新学期に合わせてのことです。早速、労働法と消費者法と刑法に刑事訴訟法と。
特定商取引法とか労働基準法とかは時の政策の影響を強く受けるので、ちょくちょく改正されます。ほんとに最近は改正が喧しい領域です。
あと僕がよく使う法律では、貸金業規制法とか出資法とか、高利貸しを規制する立法です。昨年、全国の弁護士が会をあげて立法運動に取り組み、出資法の改正をかちとりました。長年活動を続けてきたクレサラ被害者の会と二人三脚です。
それにしても、最近は、凄く基本的な法律で大幅な書換えが多いです。しばらく前に民事訴訟法と刑法が口語化され、最近は民法の現代語化、商法のうち会社法が別立てになって、刑法はほとんど毎年改正されています。民事訴訟法と刑事訴訟法も新しい制度がバンバン加わって、行政事件訴訟法や人事事件訴訟法も大改正がされました。破産法改正も記憶に新しいところです。
こういう基本的な制度がどんどん変わると、対応が大変です。ようやく新しい本を読み終えたと思ったら、もう古くなってます。
あと変わりそうなのは、割賦販売法か。
いわゆる六法のなかで改正に着手されていないのは憲法だけということになりますが、今、これを変える必要はありません。これを変えたら、法改正に対応するとか何とかという以前に、世界の終焉にもなりかねませんから。

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昨日の2つの判決

昨日、厚生労働省所管の事項について、2つの判決が出ました。

一つは中国「残留孤児」国賠訴訟徳島地裁判決、もう一つは薬害肝炎訴訟東京地裁判決です。

「残留孤児」の徳島地裁判決は、国の不作為を認定しながらも「政治的義務にとどまる」として法的判断を回避するものでした。このフレーズは、2006年2月15日の東京地裁判決を彷彿とさせます。「残留孤児」を帰国させるのも、帰国後いかなる自立支援策をとるのかも、広い裁量に委ねられるというのです。

2007年1月30日の東京地裁判決は、最低最悪のもので、さすがにこの東京地裁判決よりは評価できます。しかし、昨年12月、全員ではなかったとはいえ請求を認容し、その前提として国の不作為責任を認めた神戸地裁判決のような真摯さがありません。

神戸地裁は、この問題に関し、国が帰国を遅らせ、その後の自立支援を怠ったことを認め、特に自立支援に関しては現状の様々な問題点を指摘しました。その後どんな判断があろうと、ここで指摘された問題点が解消されたわけではありません。東京地裁判決や徳島地裁判決によっても、神戸地裁判決の意義は決して失われないのです。

そして、薬害肝炎判決。懸案となっていた第9因子についても一部責任が認められました。これは大きな前進です。でも、全員の請求が認容されたわけではありませんでした。私は、薬害肝炎訴訟には全く関与していないので、詳しいコメントをする資格はありませんが、こんな線引きは本当に必要だったのか、今後、批判的検証が進められていくことでしょう。

助かろうと思ったら、病気になった。しかも、それは国が注意さえしていれば避けられた。でも、補償されない。こんな道理のないことはありません。

私は、昨年夏、広島で「原爆投下を裁く国際市民法廷」の検事団に加わりました。その際、韓国の崔鳳秦弁護士が戦争被害の補償について、損害賠償、謝罪、真実解明、責任者の処罰、歴史教育の5点を強調していました。これは韓国で戦後補償を語る際には当然とされているのだそうです。被爆者問題のみならず、「残留孤児」、薬害でも、大いに示唆に富むものです。

それにしても、こういうときに、マスコミは敗訴原告の絵を撮りたがります。私たちは、行政に棄てられ、さらに司法に棄てられ、奈落の底に突き落とされた人たちを晒し者にしたくはありません。これほどないくらい傷つけられた人の涙がそんなに絵になるというのでしょうか。マスコミ関係者各位には、よくよく考えていただきたいと、いつも思っています。

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ネタがたまってしまった…

ここ数日新しい記事を載せていませんが、どうも14日ころから風邪をひいたようで、微熱がなかなかおさまらず…。

そうはいっても、そうはそうはゆっくりと休めないのがこの業界のいやなところで、ともかくもやっていたことはありましたので、順次載せていきたいと思います。

心境としては、夏休み最終日に絵日記をまとめ書きする小学生です。

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厚生労働省の更生を求める集会

昨日、霞ヶ関の弁護士会館2階講堂(クレオ)で、「厚生労働省よ、更生せよ!」と銘打った市民集会が開かれました。
厚生労働省を相手取って進めている4つの裁判(原爆症認定、トンネルじん肺、薬害肝炎、中国「残留孤児」)の原告団と弁護団が集い、それぞれの経験や課題を報告し合いました。
厚生労働省は、国民の健康と福祉に責任をもつ、巨大官庁です。いくつもいくつも責任を追及される裁判を起こされ、裁判所に責任を認定されているのに、裁判で負けた分だけ仕方なしに補償し、被害の根絶・全面解決には向き合おうとしません。これは一つ一つの課題だけではなく、もっと構造的な問題ではないかという問題意識で、弁護団レベルから交流を始めたものです。
国が健康と福祉を保つ責任を放棄するとき、その被害にあった人たちは人生をズタズタにされます。心と体と暮らしに大きな傷を受けるのです。
それぞれの局面で行政の(括弧付きの)裏付けとなるものは違うでしょう。対米政策、財界との関係、製薬会社との関係、戦後補償の側面の問題という具合です。
しかし、人道的観点からすれば、それらは、被害を放置することを正当化する理由にはなり得ません。
だからこそ、裁判所は国を断罪し、国会議員の中にも救済すべきだとする声が大きくなりつつあるのです。厚生労働省の包囲網は確実に狭まっています。
今月後半は、各事件での判決が目白押しです。
厚生労働省よ、更生せよ! 君らの本来の任務を全うせよ!!

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幕張ポスター貼り弾圧事件が解決

本日、幕張ポスター貼り弾圧事件について、千葉地方検察庁の終局処分が出ました。

幕張ポスター貼り弾圧事件というのは、2007年2月4日、千葉市花見川区内で日本共産党の演説会のポスター2枚を河川敷のフェンスにつけられていた掲示板に貼り付けていた男性が、軽犯罪法違反であるとして千葉西警察署に現行犯逮捕された事案です。

現場に行ってみて分かったことですが、河川敷のフェンスには、以前から針金でベニヤ板が括りつけられていて、半ば公認された掲示板となっていました。目をちょっと脇にやれば、金融業者や不動産業者や英会話スクールのポスターが、公共の工作物に堂々と貼られています。

こういう状況下で、たかだか2枚のポスターを貼ったことで身柄を拘束されるというのは異常です。しかも、逮捕時には、丸腰の五十代の男性(失礼ながら優男です)に十名を超える警官が取り囲んでパトカーに押し込んだとのこと。無茶苦茶です。

直ちに周辺住民や弁護士4名が駆けつけ、当日夜には男性は釈放されました。

2月16日付で検察官送致、本日(2月26日)付で不起訴です。

昨年10月4日にも、船橋市丸山で同様の事件が起きていました。こちらは11月22日付で不起訴になっています。

刑事訴訟法上、逮捕に対応する不服申立手段が定められていません。だからといって、後で釈放しさえすれば無茶な逮捕もまかり通るというのは絶対に間違っています。しかも、2件とも、憲法上優越的な価値を有する言論の自由に対する不当な弾圧です。

いっせい地方選を前に、革新勢力の運動を足止めしたい動機からやっていることのように思えてなりません。政策論争は言論において行うべきであり、国家権力、しかも警察権力を使って現場を威嚇することは許されません。

しかも、今回は、千葉西警察署前で抗議行動をしていた市民に対し、警察は、こともあろうに拡声器規制条例上の警告を示唆する脅しまでかけてきました。不当なことをしたから抗議されるのに、その抗議に対しても権力を振りかざすことは、無理に無理を重ねるものです。

そんな中、検察官が短期間で不起訴裁定をしたことは、当然のことながら、法曹としての良心を示すものであり、敬意を表したいと思います。

みんなが自由にものがいえない社会にしてどうするつもりなのでしょうか。かつて日本がそうであったとき、後にどうなったでしょうか。愚かな歴史を繰り返してはいけません。だからこそ、弾圧に抗するため、私たちは全力を挙げるのです。

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