えん罪事件

淵野貴生『適正な刑事手続の保障とマスメディア』

 昨年から裁判員裁判が始まってしまいましたが、それを受けてでありましょう、刑事事件の報道が増えているような感覚があります。それが、自分が弁護士だからそう感じるのかどうか、僕の「感覚」の客観性までは検証していませんが。
 そんなこともあって、正月の時間を利用して読んでみたのが、淵野貴生立命館大学法科大学院教授(出版当時は静岡大学大学院法務研究科助教授)の『適正な刑事手続の保障とマスメディア』(現代人文社、2007年)です。著者が1996年から2004年にかけて発表した論文をまとめたものです。

 この本の章立ては次の通りです。

 序章  問題関心
第1部 アメリカにおける「公正な裁判と表現の自由」論の展開
 第1章 予断発生後の事後的救済
 第2章 予断発生の防止論と報道の自由
 第3章 手続の公開制限の可否
 第4章 手続関係者の情報提供の規制
 第5章 まとめ
第2部 ドイツにおける犯罪報道と公正な刑事手続をめぐる議論
 第6章 権利侵害の構造
 第7章 公正な刑事手続を保障する手段
 第8章 予断の発生を防止する手段
 第9章 手続関係者による情報提供活動の是非
第3部 考察
 第10章 権利侵害の構造論
 第11章 適正手続を保障する法的手段
 第12章 両当事者対等報道

 日本ではセンセーショナルな犯罪報道と刑事司法の関係について理論的に明確に整理した研究成果は著者のもの以外に見当たりませんが、本書では、このように、そのような領域について、日本よりは検討が進んでいるアメリカやドイツでの成果を手掛かりに、日本ではどうすべきかという、法学者の論文集としてはオーソドックスな構成がとられています。
 本書では、報道機関による「有罪視報道」という言葉が使われていますが、そのような報道がなされたことが、刑事被告人の適正な裁判を受ける権利を侵害されたとか、刑事司法の独立性や権威を侵害されたとか、アメリカやドイツでそのような理論が提唱されています。
 従来、職業裁判官は事実認定の専門的訓練を受けており、犯罪報道によって左右されることはないのだということが言われていますが、著者はそのようなことは「レトリック」と排しており、僕も著者の考え方に賛同します。まして、裁判員はどうかということです。近年、「法と心理学」のメンバーにも報道と心証形成との関係について研究を進めている方がいらっしゃいますが、できるだけ精度の高い実証的研究の進展は急務のように思われます。

 日本でも、いわゆるロス疑惑、オウム真理教(現・アレフ)、最近でも芸能人の刑事事件や千葉で相次いで被疑者が身体拘束された事件で過熱報道が見られます。千葉の裁判員対象事件でNHKが審理期間中に出廷予定のない証人の発言を放映して問題にもなりました。

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当座の解題/布川事件最高裁決定

 結局今年も夏以降は多忙を極めて更新もろくにできず、またも5か月ぶりの更新になってしまいました。
 僕にとっての大きなニュースとしては、布川事件の再審開始決定の確定です。2005年9月21日に水戸地裁土浦支部が再審開始決定を出したことに対し、検察官は即時抗告しましたが、2008年7月14日に東京高裁はこの抗告を棄却。検察官は更に最高裁に特別抗告しましたが、今年12月15日に最高裁は特別抗告をも棄却しました。検察官はもう再審開始を争うことはできず、再審開始決定が確定しました。
 来年、布川事件の再審公判が始まります。1967年夏の事件発生以来、43年ぶりに被告人両名(今までは「再審請求人」でしたが、晴れて「被告人」となります。「被告人」というと暗いイメージがつきまといますが、本来は「刑事裁判にかけられている者」ということで無罪推定が働きますので、中立的な言葉のはずです。暗いイメージがあるのは、まだそういうニュアンスが社会に浸透していないためでしょう。「再審請求人」の方が従来の流れからはしっくり来るのですが、再審開始決定が確定したことを受けて、ここでは「被告人」と呼びたいと思います。)の無実が公開法廷で明らかにされます。

 弁護団声明にもあるように、この事件では、被告人両名と事件とを結びつけるのは自白しかなかったのです。物証が一つも見もつからなかったわけではありません。現場からは100点ほどの物証がありながら、被告人らと事件とを結びつけるようなものではなかったのです。唯一の証拠である自白も、別件逮捕して長期間身体拘束をした上で獲得したものでした。
 もともとの有罪判決自体に無理があったのです。もっと言えば、2人を強盗殺人で逮捕・勾留して捜査すること自体に無理があったのです。
 更に許せないのは、検察官の証拠隠しでした。

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「布川事件」再審開始に関する弁護団声明

「布川事件」再審開始に関する弁護団声明

 12月14日、最高裁判所第2小法廷は再審請求人桜井昌司氏、同杉山卓男氏にかかる再審請求事件、いわゆる「布川事件」について、2008年(平成20年)7月14日に東京高等裁判所が下した抗告棄却決定(水戸地方裁判所土浦支部の2005年9月21日付け再審開始決定を支持したもの)を維持し、検察官による特別抗告を棄却する決定を下した。
 布川事件は、1967年(昭和42年)8月に茨城県利根町布川で発生した強盗殺人事件について、無実の請求人両名が犯人として逮捕・起訴され、無期懲役の有罪判決が確定した冤罪事件である。請求人両名は代用監獄(警察留置場)での取調べにより自白させられたものの、第1審の公判開始以来一貫して無罪を訴え続けてきた。今回の決定は、最高裁判所がその訴えを真摯に受け止め、上記再審開始決定の正当性を率直に認めたものであり、高く評価することができる。
 そもそも本件においては、犯行と請求人両名を結びつける物証は皆無であり、目撃証言もあいまいなものしかなく、有罪の最大の根拠とされた請求人両名の自白も矛盾に満ちていた。本件の確定審の証拠構造は、もともと非常に脆弱なものであったが、今回の第2次再審請求審で取り調べられた多くの新証拠や開示証拠によって、請求人両名の自白に「虚偽の自白を誘発しやすい状況の下でされた疑い」があること、その自白が客観的状況と矛盾し信用性に欠けること、自白を支えるとされた目撃証言も証拠価値や信用性が乏しいことが明らかとなった。土浦支部は、これらの証拠と既存の全証拠とを総合評価すると強盗殺人事件の有罪認定に合理的疑いが生じたものと認められる、として再審開始の決定をしたものであり、この判断は東京高裁での即時抗告審でも維持された。
 これに対し検察官は、「判例違反」と「著しく正義に反する重大な事実誤認」があるとして特別抗告を申し立て、再審開始決定の根拠とされた多くの新証拠は証拠価値が乏しいのに、これを根拠に旧証拠との総合評価を行っているのは不当であるなどとして、原決定を非難していた。しかし、今回の最高裁決定は、こうした検察官の主張には理由はないとして特別抗告を棄却したもので、当然の判断であるとともに、原々審及び原審が、最高裁の白鳥決定及び財田川決定などに示された新旧証拠の判断方法に即して再審開始を決定した、その判断の正当性を認めたものであり、極めて正当である。この決定は、足利事件に続き、再審における無辜の救済に大きく道を開くものとして極めて重要な意義をもつものであり、全国各地で粘り強くたたかわれている再審事件の関係者に大きな励ましを与えるものと信ずる。
 今回の再審請求審においては、請求人両名に虚偽自白を強いた取調べ過程の問題点、さらには、公判における検察官による証拠隠しや捜査官の偽証の事実までもが明らかとなった。これらが誤った確定判決を導いたこと、そしてこの決定を得るまでに、請求人両名がその無実を明らかにするため40年以上もの長い歳月にわたり筆舌に尽くしがたい苦難を強いられてきたことを思えば、その責任は極めて重大であり、関係者及び関係各機関の猛省を求めるとともに、このような過ちを繰り返し、冤罪を生むことのないよう、警察及び検察に対し強く要望する。
 また、ここに本再審請求に対する多くの国民の皆さんのご支援に心から感謝するとともに、無罪判決の早期実現のため、一層のご支援をお願いする次第である。弁護団も、請求人両名が来る再審公判において早期に完全無罪判決を勝ち取ることができるよう、全力をあげて奮闘する所存である。
   2009年(平成21年)12月15日
                   布 川 事 件 弁 護 団

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刑事裁判の2つの潮流と裁判員裁判

僕は常々刑事裁判には2つの潮流があると考えています。
一つめは、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に忠実に、憲法31条で適正手続が保障された趣旨を生かそうと、警察・検察官の捜査・起訴・公判活動を厳格に吟味しようとするものです。かつて死刑再審四事件と言われた免田、財田川、松山、島田各事件での再審開始決定はまさにそうですが、最近出された痴漢えん罪事件についての最高裁判決の多数意見も基本的にこの流れに近いと思います。
もう一つは、そうではなく、検察官の主張に寄り添うように審理を行い、弱点があればそれを補うような潮流です。裁判所は公正さを装いたがりますので明言を避けますが、その背景には、自分たちこそがこの国の治安を守るのだという意識があるのだと思われます。そうだとすれば、裁判所は警察と同化していることになります。
例えば、自白、とりわけ死刑・無期懲役もあるような重大事件での自白、は犯罪を犯していない人が自白するわけがないとか、被害者とされた人が警察の取調や裁判所での証言などといった負担を背負ってでも敢えて話しているのに真実とは異なるなどというわけがないとか、そういう経験則らしきものがまことしやかに語られることがありますが、そのような発想は後者の潮流に馴染むものです。
高名な刑事訴訟法学者である故平野龍一博士は、かつて、日本の刑事裁判は「絶望的」だと評しましたが、後者の潮流が余りにも強いことを批判したものです。
私は、刑事事件、特に事実関係を争い被告人が無実を訴えている事件では、できるだけ前者の潮流に引き寄せられるよう、その手がかりを探すことに努めます。
というのも、ある裁判官が前者、別の裁判官が後者、というわけではないからです。なかなか無罪を出さないといわれる裁判官であっても、事件によってはびっくりするくらい格調高く捜査機関を批判する無罪判決を出すことがあれば、慎重な審理を尽くすといわれる裁判官であっても、いたってラフな事実認定で有罪判決を出すこともあります。要は、各の事案の特質と、疑問をもってもらうきっかけをつかめるかどうかなのです。疑問をもってもらうことが困難を極めることはよくいわれることです。

ところで、09年5月21日から裁判員裁判の実施が予定されています。

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裁判員制度を考える位相・試論

今、僕たち弁護士の中では、裁判員制度の評価をめぐって喧喧諤諤の議論が続いています。
弁護士会は、長い間、世間の風に当たっていない官僚裁判官による裁判では市民の常識が反映されないとして、市民参加、とりわけ陪審裁判を求めていました。裁判員裁判を推進すべきだと考える層は、裁判員裁判こそ市民参加の突破口であるとして、市民の常識を裁判に反映させるものとして発展させようと主張しています。
他方、裁判員制度に反対する層は、調書裁判とか人質司法とか言われる現在の刑事裁判の実態は温存され、公判前整理によって被告人や弁護人の防御の機会は制限され、評議には官僚裁判官が同席するなど、えん罪が増えると思われる上に、裁判員には重い負担をさせる(刑罰つきの守秘義務や量刑判断までさせる)ものだとしています。
気をつけなければならないのは、弁護士の中での裁判員制度推進派も、裁判員制度にも問題点があることは概ね了解していることです。そのことは前提として、なお実施して問題点は改善していけばいいと考えるか、そうではないと考えるかです。
僕自身は、延期論です。今年の8月に日弁連会長が延期すべきでないする声明を出したことについて、法律家団体の機関紙である自由法曹団通信に批判文を載せたことがあります。→自由法曹団通信1284号
僕自身、現在の刑事裁判には絶望しながらも歯を食いしばって刑事弁護に取り組む者の一人であり、市民参加の一形態としての裁判員制度に真っ向から反対する心境にはなかなかなりきれません。ただ、これはあくまでも心情的なもので、理論的には裁判員制度をいいものだと評価することは極めて困難だと考えています。少なくとも、09年5月に実施されようとする裁判員制度は。
このように、僕は推進派の言おうとしていることもよく分かります。刑事弁護に真剣に取り組む人ほど、そう考えることは理解できるのです。でも、そこに陥穽があります。「見て聞いて分かる裁判」の名の下に、調書などは簡略化され、長期間の身体拘束で行われていることがますますブラック・ボックス化してしまいます。取調の可視化(録画・録音)が施行されていますが、今、法務省がやっているのは一部だけであって、意味がありません。

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「布川事件」検察官特別抗告に対する弁護団声明

「布川事件」検察官特別抗告に対する弁護団声明

 2008(平成20)年7月14日、東京高等裁判所第4刑事部は 、2005(平成17)年9月21日に水戸地方裁判所土浦支部が出した「布川事件」に関する再審開始決定を維持し、検察官の即時抗告を棄却した(以下「本決定」という。)。これに対し、検察官は、本日、これを不服として最高裁判所に特別抗告を申し立てることにした、とのことである。このことは極めて遺憾である。
 本決定は、東京高等裁判所第4刑事部が、検察官の意見も十分に聴き、自ら事実調べも行い、検察官が本件第二次再審請求の段階になって初めて開示した多数の新証拠も含む新旧全証拠について、慎重に検討した結果、これら新証拠が「確定審における審理中に提出されていたならば、請求人らを有罪と認定するには、合理的な疑いが生じていたものというべきであ」るとして、水戸地方裁判所土浦支部の再審開始決定を支持したものである。
 本決定に示された判断は、原決定に続き、最高裁判所の白鳥・財田川決定の趣旨に沿い、無辜の救済という再審制度の目的を実現しようとしたもので、誠に適正である。
 検察官は、即時抗告審の審理にあたり、積極的な反論・反証をほとんど行わなかった。その上で出された即時抗告棄却決定に不服を申し立てるのは、いたずらに審理を長引かせるものでしかない。
今、検察官に望まれるのは、公益の代表者として、原決定及び本決定を謙虚に受けとめ、早急に再審公判を開始させることである。
 今回の特別抗告は、公正な裁判を求める国民世論にも背いて、許されるものではなく、検察の威信を損なうものである。
 弁護団は、検察官に対し、国民世論に謙虚に耳を傾け、今回の特別抗告を直ちに取り下げ、再審公判の開始に協力し、真実の発見と審理の促進に協力することを強く要望する。そして、請求人らの再審無罪判決を獲得するまで引き続き全力を挙げる決意を表明する。

      2008年(平成20年)7月22日
      布 川 事 件 弁 護 団

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布川事件、高裁でも勝利決定

昨日、東京高裁第4刑事部(門野博裁判長)は、布川事件に関して、検察官の即時抗告を棄却し、2005年9月21日の水戸地裁土浦支部(彦坂孝孔裁判長)の再審開始決定が維持されました。検察官がこれに対して特別抗告(高裁決定に対する最高裁への不服申立て)をせずに再審開始決定が確定すれば、再審公判(やり直し裁判)が水戸地裁土浦支部で始まります。
東京高裁の決定は、目撃証言も自白も信用性が認められず、確定判決の有罪認定には合理的な疑いが残るとしています。その中で、代用監獄問題や取調の一部の録音には問題があることに触れています。
さしたる理由もなく変遷を繰り返す自白、物証など客観的な証拠とは食い違う自白は信用することができないと、至って常識的な判断です。
もちろん、再審請求人である桜井昌司さんと杉山卓男さんは喜んでいます。弁護団も支援団体もよかったと思っています。無辜の救済という再審の目的を再確認させてくれる決定を出した裁判所には敬意を表したいと思います。でも、手放しでは喜べません。常識的な判断をしてくれとは、40年前から請求人本人も、この事件に関わった何十人もの弁護士も、何百人もの支援者も、みんなが言い続けてきたことです。時間がかかりすぎているのです。
とはいえ、再審開始決定が高裁で維持されたことは長らくなかったこと、決定がえん罪の原因(代用監獄、取調の一部の録音、物証をよく検討しないこと等)を率直に指摘したことからすると、えん罪に苦しむ多くの人にとって勇気と希望をもたらすものです。
当面、僕たちの課題は検察官の即時抗告を許さず、早期に再審公判に移行させることです。一日も早く再審無罪判決を獲得するため、今後とも奮闘する決意です。

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えん罪はえん罪です。

「疑わしいときは被告人の利益に」という格言は刑事裁判の鉄則といわれますが、映画「それでもボクはやっていない」てリアルに描かれているように、この鉄則を現実とすることは容易ではないどころか、絶望的なほど困難です。
それでも、被疑者・被告人やその家族、弁護人、さらには被疑者・被告人を支援する人たちのたいへんな努力(を裁判所が採り上げたこと)によって、無罪とされたときは、その判断は最大限尊重されなければなりません。
ところが、先頃、鳩山法務大臣が、鹿児島志布志事件を「えん罪と呼ぶべきではない」と発言したというではありませんか。やや時期に遅くはなりましたが、これは、刑事弁護に携わる者として大いに異を唱えるものです。真犯人が出てきたわけではないとか何とか言ったそうですが、警察が事件をでっち上げた事件なのに、真犯人も何もあったことではありません。この不見識ぶりは目を覆いたくなります。このようなことを言ってのける軽い人に法務大臣を続けてほしくありません。
今、司法支援センターは法務省所管の独立行政法人によって運営されていますが、このセンターと契約した弁護士でなければ国選弁護人に選任されない運用が続いています。(おっと、国選弁護人は、主に資力に問題があり自費では弁護人をつけられない被告人がきちんと言い分を尽くせるように、国がつける弁護人ですが、この選任権限は裁判所にあります。その裁判所の運用によって、法務省と密接な関係のある司法支援センターと契約していない弁護士は国選弁護人に選任しないことになっているのです。)

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裁判に国民が参加する条件

 今日の朝刊に、裁判員裁判の運用に向けた司法研修所の研究報告の要旨が載っていました。本文を確認してはいませんが、以前に2回、「判例タイムズ」誌に同様のテーマの報告書が出ていましたので、そうした成果を踏まえてのものだと思います。
 概して、複雑な事件をいかに簡略化するか、今まで長くかかってきた裁判を短縮化するか、に重点が置かれています。印象的だったのは、
①審理の対象はできるだけ犯罪事実の有無や量刑に関係することに絞る。
②公判前の整理手続を重視し、検察官による犯罪事実の主張の変更(訴因変更)や弁護人の新たな主張は認めない。
③捜査段階と公判段階での供述の食い違いについてはなぜそうなったのか水掛け論になりがちだが、そのような審理はできるだけしないようにする。そのために、取調過程を録音するほか、公判前の証人尋問手続を活用する。
 僕は、悪い意味でいかにも裁判官らしい、訴訟当事者の立場を理解していない内容だという感想を抱きました。題材になったのは、今までどおりの手続で行われた事件と、最近になって裁判員裁判を見据えて公判前整理手続を経て集中審理が行われた事件です。だいたい、そのようにして訴訟当事者がさんざん努力して事案が解明できた、「完成物」というべきものを題材にして、これから進める手続をどう扱うかを考えることには問題があります。そのときそのときどうであったかが大切です。
 裁判は発展的な構造をもつといわれます。当初は曖昧模糊としていたものが、資料をじっくりと検討し、関係者からきめ細かく尋ね、丁寧に争点を整理していって、はじめて真実が発見されるのです。証拠書類をじっくり見るのを辞めて口頭で話を聞くことにすれば法律専門家でなくてもよく分かるようになるというのは、そうした訴訟当事者による法廷の外での様々な準備活動を知らないからこそいえる、机上の空論です。
 この報告書を書いた裁判官は、いっぺんでも証人尋問の準備をやってみたらいいでしょう。最初から審理に必要な証言をやれるほど深められる証人は僅かです。科学者の専門家でも、一般市民が体験事実を語るときでも、十分な準備期間を与えられ、法廷の改訂日が近付いてきて記憶を丁寧に喚起し、投資世は気づかなかった資料の存在を思い出したり、それを見て改めて記憶喚起したりして、はじめて自らの体験を正確に語れるようになるのです。このプロセスの中で、弁護士も主張の枠組みを点検し、より分かりやすい法廷活動ができるようになるのです。おそらく検察官も同様の体験をしていると思います。
 また、法廷で扱う事実関係を絞るというのも、傲慢です。この報告書を書いた裁判官たちは、自分たちは証拠なんか見なくてもどこまでが必要な事実か分かるほど社会のことを知り尽くしているとでもいうのでしょうか。法廷に現れる関係者は、被告人も証人も自分とは違った人生を歩んできた人たちです。その事件だって、あったかなかったか、立ち会ってみていたわけでもない人たちが整理するのですから、全く証拠を見ていない段階で審理対象を絞ることは非常に危険です。

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捜査メモの開示

12月27日付け各紙朝刊には、捜査メモの開示を命じた東京高裁の決定を最高裁が維持したと報道されていました。
報道によると、最高裁は慎重にいくつかの条件を付したようですが、それはそれで画期的な判断です。取調の可視化の抵抗勢力である法務省には痛打でしょう。裁判員制度の施行を控え、―裁判員制度自体の評価はともかくとしても―、市民が刑事裁判で判断する際に躓きの石になりかねない、自白の任意性・信用性の判断について、重要な資料を開示するよう命じたことになります。
自白の任意性とは、その名の通り、誰に指図されたわけでなく自ら進んで犯罪事実を認める供述(発言)をすることです。自白の任意性に疑いをもたれると、自白は証拠として扱われません(「証拠能力がない」といいます。)。自白の信用性とは、自白に任意性が認められることを前提に、客観的状況と合致していたり臨場感のある具体的なものかどうかなどから、信用に足りる自白かどうかの問題です。
なお、日々被疑者・被告人に接している弁護士の率直な感覚からすれば、任意性の認められる自白なんて存在するわけがありません。目の前に自分を訴追して前科者にしようとしている、少なくともそう求めることができる人(検察官)やそのための資料を集める人(警察官)がいて、不利益なことを進んで話す人なんているわけないと思うのですが、言い過ぎでしょうかね。「自白の任意性」なんて、形容矛盾も甚だしいと思っています。
この自白の任意性が問題になると、しばしば捜査官と被告人とで水掛け論が始まります。「認めれば罰金で済むって言ったじゃないか」「そんなこと言ってない」と、文字通り「言った」「言わない」です。そんなことでは、裁判員は困るではないか、もっと判断材料を、というのが最近の流れになってはいます。

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